何を食べてもおいしいと思える人生
私のランチは毎食、少ない空き時間でどうするかというのが、重要な迷いの種となっています。
事務所に買いおきしているパスタを茹でて、これにかけるソースを何にするかを迷うとか、あるいはコンビニへ行くのか、事務所の近くに出店するキッチンカーでタコライスを買うのか、と迷うのが楽しみなのです。
ちなみに、このタコライスは、毎週金曜日に出店します。私は、ハラペーニョとチョリソーのトッピングが好きなのですが、このチョリソーがすぐに売り切れてしまいます。そんなときは、代わりにコンビニでウインナーソーセージを買って、小さく刻んで炒めてタコライスに乗せて食べるのです。
食に関して、初老の作法の究極とは、常においしいものばかり食べている人生よりも、何を食べてもおいしいと思える人生のほうが幸せだということです。
2011年から2024年まで、WOWOWで『W座からの招待状』という映画番組のナビゲーターを務めていたのですが、第1回から2014年まで一緒に案内役を務めていたイラストレーターの故・安西水丸さんが、こんなことをおっしゃっていたのが印象的です。
「その作品に1秒でも2秒でも光るものがあれば、出合う価値、観た価値はある。そして、光るものは必ずどんな作品にもあるんですよ。それを見つけるのが楽しいんです」
本物へのこだわりは捨てるほうがいい
これは、食も同じだと思うのです。
この先限られた食事の回数の中で、決しておいしいものに出合うばかりではないでしょう。
でも、完璧ではないかもしれないけれど、「この調味料を加えてみたら、けっこうよかった」とか、「期待していなかったけど、意外とおいしい」「この漬物と一緒に食べたら、味が引き立った」などと、いろいろと工夫して楽しいと思えるほうが、私は幸せな気がします。
特に、初老にさしかかってくると健康にも気をつかいだすので、「旨味調味料が入っていないほうがいい」という話もあったりするけれど、私は旨味調味料が入っていてもいいと思うのです。
それによってコストが下がるとか、それによって成り立っているお店もたくさんあるからです。
食にしても、それ以外の何にしても、極めようとしたときに「本物でないと自分は認めない」という考えでないほうがいいな、と思います。
そのような意味では、何をどのように食べるかにはこだわるけれど、何が本物かというこだわりは捨てるほうがいいのではないか、というのが私の持論です。


