異業種から農業に挑戦したワケ
しかし、極限の責任感やストレスから体温調節ができなくなる難病「特発性後天性全身性無汗症」を発症。妻から「あんた、死にそうだよ」と泣きつかれた清水さん。このままではいけないと退職を考えていた頃、妻の実家がある山形県天童市を訪れた。その時に親戚のおじさんからかけられた言葉が人生を大きく変えるきっかけとなった。
「地元の農業にはまったく元気がない。年寄りばかりだから、あんたが元気にしてくれ」
その言葉に持ち前の熱血と自信が再熱し、「俺が山形の農業を元気にしてやる! 3年で天下を取ってやる」と2010年に就農を決意。しかし、当時の天童市には新規就農で成功した前例がほとんどなく、家族や親戚からは大反対を受け、周囲に説得される形で一度は諦めた。諦める選択をした自分に、悔しさのあまり一晩中泣いたという。
だが翌朝、涙を拭ってスッキリした清水さんは「やっぱり俺はやる!」と一転して宣言。「お前、昨日号泣して諦めたろ?」という周囲の呆れ顔をよそに、30歳となった2011年3月、山形県天童市へと脱サラ・移住を果たしたのである。
農業界の非常識
数ある作物の中から長ネギを選んだ理由は戦略的だった。
2.機械化が進んでおらず、人海戦術で勝負できること。
3.「長ネギには果物と違い糖度といった基準が無い」ため、素人でも生産量で勝機があること。
これらの条件から、ネギでなら「3年で天下をとれる」と確信したという。
清水さんは地元で「ネギの神様」と呼ばれる金平芳己氏に弟子入りし、毎日100以上の質問を投げかけて栽培技術を叩き込んだ。
しかし、就農にあたって農協の担当者から「年間売上400万円もいけば大したものだ」と言われ、愕然とする。かつて社長として億の規模を動かしてきた清水さんからすれば、「売上400万円から資材費や人件費を引いたら、どうやって家族を養うのか」と、農業界の常識との間に大きなズレを感じたのだ。
「利益を出し、事業として成り立たせるには、最初からスケールを追うしかない」。そう決意した清水さんは、「素人がいきなり1ヘクタールなど無理だ」という周囲の大反対を押し切り、2011年に就農して1年目から1ヘクタールの作付けを強行した。
