企業側の責任
電通など4社によると、2025年の日本のソーシャル広告費は、前年比18.7%増の1兆3067億円となり、インターネット広告媒体費に占める割合も39.5%に達している。
SNSをめぐる種々の問題はたびたび指摘されているが、少なくとも広告市場の規模を見る限り、SNSを問題視した企業が次々と撤退している様子はない。
腐ったレモンが金になるという、歪なSNSを支えているのは広告主である企業だ。CSRを厳しく問われるなか、芸能人の不祥事ひとつでスポンサー契約を打ち切る企業が散見される一方、どうしてSNSが次々と巻き起こす社会問題に対し、企業はこれほどまでに寛容なのだろうか。
もっとも、この市場を成り立たせているのは企業の広告費だけではない。私たち利用者も、SNS上で腐ったレモンに怒り、呆れ、批判しながら、クリックやコメントという形で注意を差し出し続けている。
先ほどのサムの事例では、批判的なコメントまでがクリック数やエンゲージメントを押し上げ、商売の一部として利用されていた。腐ったレモンをめぐってSNS上で怒りを表明することすら、この市場を回す側に組み込まれてしまうのである。
SNSでまともな言説を交わすことは無理
こうした偽アカウントへの対策となると、「偽物を見抜くリテラシーを身につけよう」といった、各ユーザーの問題に還元する論が散見される。しかし、それは問題の所在を取り違えている。
本当に問題なのは、利用者が偽物を見抜けるかどうかではなく、腐ったレモンが数多く並び、しかも腐っているほど価値を持ってしまう市場そのものだからだ。腐ったレモンを判別できない人々が問題なのではなく、腐ったレモンを大々的に陳列する市場が悪いに決まっている。
だとすれば、私たちに求められるのも、リテラシーを磨いてこの市場へ適応することではない。もはや、そうした市場(SNS)に出向くことを必要最小限にとどめ、適切な距離を置くことにある。腐ったレモンほど価値を持つ市場を、まともな言説が交わされる場として扱う前提そのものを、そろそろ手放すべきではないか。

