初代電動アシスト自転車の発売から20年。ゼロだった市場をどのように広げていったのか。マーケティング理論に基づき、4つの視点から見ていこう。
2.来る者拒まず、得意技で勝負する
市場が伸びた理由の一つに、「特許を開放する戦略」があった。
「やはり1社だけではマーケットがなかなか広がらないということで、パテントは非閉鎖的な扱いとしました」(ヤマハ発動機SPV事業部マーケティング部PAS営業企画グループ・石井謙司氏)
この戦略が奏功し、多いときはホンダやスズキといった自動車・二輪車メーカー、家電メーカーからベンチャーにいたるまで、20社ほど参入していたらしい。しかしいずれも長続きせず、現在残る企業は数社となっている。
革新的な技術を開発したとき、他社の追随を恐れず特許を開放するのは勇気がいる。特許を開放しなかったがゆえに、発売から20年近く市場が広がらなかった温水洗浄便座(登録商標名ではウォシュレットなど)を見ても、その判断の難しさがわかる。
「ヤマハのPASは違和感のない自然なアシストの乗り味にこだわっています。ペダルに足をかけて踏み込んだときからもう違いがわかるんです」と石井氏が続けた。
PASは50車種ほどあり、商品はターゲット客層も用途も異なるため、すべて微妙なニュアンスで乗り味を変えているとのことだ。楽器製造から始まったヤマハが、多角化を進める中で生まれたのがヤマハ発動機である。「感性のものづくり」でチャレンジを続ける同社らしい一面といえそうだ。
96年に参入し、現在シェアトップを誇るのはパナソニック サイクルテックである。社長の小黒秀祐氏はこう話す。
「松下幸之助が最初に丁稚奉公をしたのは自転車屋ですから、そういう意味では自転車は創業の商品です。当時、電池屋とモーター屋が呼ばれて、電器屋らしい自転車をつくれという指令が出た。79年にアシストタイプではない『電気自転車』を発表しています」
電動アシスト自転車は自転車にモーターと電池とセンサーが付いた商品であり、パナソニックの「総合力」が活きる商品だと小黒氏は語る。
電池は当初、自動車に用いられる大型の鉛蓄電池であったが、電化製品に用いられるより小型のニカド電池、リチウムイオン電池と進化を遂げた。
「(当初のモデルは)電池が切れたらトルクセンサー(ペダル踏力を検出する装置)の抵抗分まで一緒にこがなくちゃいけないんです。エクササイズマシンのようで、かえって重くなってしまうことが欠点でした」(小黒氏)
09年に子供の2人乗せが認められたときには、「安全性を相当に検証しなくては、となり」先行企業に遅れること2年、満を持して商品を投入している。慎重を重ね、高品質なものづくりを追求するパナソニックの姿勢がここにも見える。