生還者を襲った「二度目の撃沈」

生き残った者にはさらなる地獄が待っていた。同じ船団で沈没した輸送船・辰鳩丸の乗組員の手記には、こんなことが書かれている。

サイゴン郊外の遭難船員収容所に隔離収容された推定四百余の船員は、潰滅した船団にあって幸運な生存者であった。しかし、その大部分の者は、二十年四月初め、阿波丸に便乗し、日本に帰還中台湾海峡で撃沈され、全員帰らぬ人となった(軍艦香椎会編集委員会編『留魂:軍艦香椎』松村延樹、1993年)。

阿波丸は捕虜への慰問品を運ぶため、連合国側からも安全な航行を保証された「緑十字船」だった。しかし1945年4月1日、台湾海峡で米潜水艦クイーンフィッシュに撃沈された。米軍側の誤認による攻撃だったとされている。

1950年代頃、航行中のアメリカ海軍潜水艦USSクイーンフィッシュ(SS-393)の右舷側からの写真
1950年代頃、航行中のアメリカ海軍潜水艦USSクイーンフィッシュ(SS-393)の右舷側からの写真(写真=米国海軍/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

ヒ86船団を生き延びながら、日本へ帰る途中で再び船を沈められ、命を落とした船員が少なくなかったのである。

最後に残ったのは「特攻精神」だった

ヒ86船団が壊滅した後も、日本は南方からの資源輸送を諦めなかった。大本営が打ち出したのが、燃料と重要物資を緊急輸送する「南号作戦」だった。

しかし、南シナ海にはすでに米空母機動部隊が進出している。フィリピンの航空基地が整備されれば、もはや輸送は完全に途絶する。その前に、船をかきあつめて強行突破で資源を内地に運べ! というのがこの作戦である。もはや、作戦ですらない。

当時の海防艦乗員は、こう回想している。

強行突破輸送といっても全く従来と同じ船団輸送方式で、殊更に新しい手段がある訳でもなく、ただ生還は期し難いよ、特攻精神だよというために大層な作戦名を付けたようで、実質的な効果はなかったようだ。しかし大本営の発令だけに陸海軍挙げての掩護という意味では効用があったと思われる(『嗚呼海防艦三宅』海防艦三宅戦友会、1985年)。

この回想が示しているのは、南号作戦に従来とは異なる有効な護衛手段があったわけではない、ということだ。

大仰な作戦名をつけた結果、陸海軍は官僚的な縦割りを横断して作戦を実施できた点では効果があった。なにか成果があったかと考えれば「ほとんど沈没したけど、作戦を実施できたことに意義がある」くらいしかいえない……それがこの作戦の実態であった。制海・制空権を失った海域を強行突破する危険は変わらなかった。

南号作戦は1945年3月16日、大本営海軍部によって中止命令が出された。以後、日本と南方を結ぶ資源航路は事実上途絶えた。

日本は石油を確保するために南方へ進出し、油田地帯を占領した。しかし戦争末期には、その石油を日本本土へ運ぶことができなくなった。油田を確保しても、運ぶ力を失えば資源は戦力にならない。軍が「特攻精神」を謳い、補給路の防衛を後回しにした代償だった。

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