「敵機動部隊、附近ニ在ルモノノ如シ」
1月12日9時頃、北緯13度6分・東経109度21分の海域で、B-24型3機が船団の右後方に現れた。船団は航空戦闘配置を命じて監視したが、敵機は攻撃せず、雲中へと姿を消した。
10時頃、旗艦「香椎」から警報が届く。
「敵機動部隊、附近ニ在ルモノノ如シ」
緊張が走る中、再び雲間に敵機が現れた。護衛艦と僚船が一斉に砲火を浴びせると、敵機は恐れをなしたのか雲中から爆撃を行ったが、船団から遠く離れた海岸線近くに着弾させて再び姿を消した。
しかし、本当の地獄はここからだった。
11時50分頃、後方から十数機の敵機が襲いかかった。船団は一斉に対空砲門を開き、激しい迎撃戦に突入。敵機は波状攻撃を行った。視界がわずか百数十メートルに遮られる猛煙と爆風の中、船団は隊形を保つことさえ難しくなっていった。
16時頃には、旗艦の香椎をはじめ、船団のほとんどが撃沈されるか炎上していた。海上に残されたのは、さんるいす丸と海防艦2隻のみとなった。
戦闘概報は、その状況を次のように記している。
弾薬が尽き、積み荷の油が炎上した
斯クシテ本日拾六時頃汽ニ號艦以下係纜船ノ殆ンドガ沈沒又ハ開脊炎上我ハ本船ト海防艦貳隻ノミトナリ敵ノ集中攻撃ハ其ノ後愈々其ノ度ヲ増ス、全弾薬ヲ打盡シ機銃ハ破壊サレ使用ニ耐エザル状態トナリ、船体ハ數多ノ彈藥並近彈及無數ノ機銃彈ヲ受ケ積油所々破裂炎上シ船内通信及照明、電路ハ一切截断サレ……(軍艦香椎会編集委員会編『留魂:軍艦香椎』松村延樹、1993年)
筆者による大意:こうして本日(12日)16時頃には、第2号艦をはじめとする連なって航行していた船のほとんどが沈没するか、あるいは破裂・炎上してしまい、残ったのは本船(さんるいす丸)と海防艦2隻のみとなってしまった。
敵の集中攻撃はその後ますます激しさを増し、(我が方は)すべての弾薬を使い果たし、機銃も破壊されて使用に耐えない状態となった。船体は数多くの直撃弾や至近弾、そして無数の機銃掃射を受け、積み込んでいた油が至る所で破裂して炎上。船内の通信や照明、電気配線はすべて切断されてしまった……
まさに地獄絵図であった。一方的に機銃掃射と爆撃を受け続ける中、積み荷の原油と重油が次々と誘爆する。甲板は火炎地獄と化し、周囲の海面にも燃え広がった油が浮かぶ。通信も照明も絶たれた船内で、弾薬が尽きるまで対空砲を撃ち続けた乗組員たちが見ていたのは、炎と煙に包まれた南シナ海である。沈まずにいること自体が、すでに奇跡だった。
それでも船員たちは船を見捨てなかった。
孤立したさんるいす丸は、「船体ノミナラズモ救助スル考ヲ以テ」つまり、船だけでなく人も生かすために、自ら浅瀬へ乗り上げ擱座した。しかし、動きを止めた船にはさらに猛烈な攻撃が加えられた。17時頃、後部油槽に直撃弾2発を受け、大爆発が起きた。
万策が尽きた船長は総員退避を命じた。その船長も機銃弾で命を落とした。混乱の中、生存者たちは何とか陸地にたどり着くが、振り返ると、船全体が凄まじい炎に包まれていた。
ヒ86船団の16隻のうち、沈没を免れたのは海防艦の鵜来、大東、第二十七号海防艦のみだった。本来守るべき輸送船10隻は全滅した。

