真珠湾攻撃の戦果に「バカな」
井上はその後も海軍にとどまった。真珠湾攻撃の戦果を伝えられると、「バカな」と答えたという(前掲の伝記325頁に収められた通信参謀・飯田英雄の回想)。
米戦艦を一挙に叩いたという報告は、当時の海軍にとって最大級の吉報である。だが初戦でどれだけ敵艦を沈めても、米国を屈服させる手段が生まれるわけではなく、生産力や資材の不足が解消するわけでもない。
井上が問うていたのは、初戦の勝ち方ではなく、その後の続け方だった。
1945年5月15日、井上は塚原二四三と共に海軍大将に進級した(「海軍辞令公報」)。終戦の3カ月前である。井上1人だけが最後に進級したわけではなく、“最後の海軍大将”は後世の通称だ。
井上の価値は、敗戦を言い当てた点よりも、対米戦争の問題を補給線、兵器、生産力、資材という継戦条件に分け、開戦前に文書化した点にある。海軍には危険を把握し、数字で示す人材がいた。
それでも開戦は止まらなかった。具体的な警告を開戦方針の再審査につなげる仕組みがなかったからである。

