“最後の海軍大将”と呼ばれた男

警告の主は井上成美、当時の海軍航空本部長である。

国立公文書館アジア歴史資料センター(JACAR)が公開する「海軍辞令公報」(1940年10月1日)には、「支那方面艦隊参謀長海軍中将 井上成美 補海軍航空本部長」とある。阿川弘之『井上成美』(新潮社)で、「最後の海軍大将」「帝国海軍きっての知性」と評される人物だ。

対米戦の危険を説いた軍人といえば、山本五十六が有名だ。だが山本は1939年に連合艦隊司令長官へ移り、開戦前夜には政策を決める海軍中央ではなく、作戦指揮を担う立場にあった。日中戦争の拡大に反対した陸軍の石原莞爾も、1941年には予備役となっている。