誤解が外見執着を正当化してきた
メラビアンの本来の研究が「外見の美醜」を問題にしていないにもかかわらず、「見た目が9割」というキャッチーなフレーズが独り歩きすることで、何が起きたでしょうか。
「外見に投資することは合理的だ」という社会的な正当化が強化されました。それにより、顔を整え、体型を管理し、第一印象を磨くために多大なコストと精神的エネルギーが費やされるようになりました。
「見た目が9割なのだから」という言葉が、その努力を正当化し、同時に内面を磨く努力をないがしろにし続けてきたのです。
しかし、今や見直す時機が来ています。
本稿で見てきた通り、「見た目が9割」の本来の意味は、外見の美醜よりも「コミュニケーション全体の質」を問うものでした。表情・声・姿勢。これらは生まれ持った外見とは別のものであり、意識と練習によって変えられるものです。
顔の造形を整形によって変えることに躍起になるより、どんな表情で人に向き合うか、どんな声で語りかけるか、どんな姿勢で話を聞くかを磨くほうが、コミュニケーションの質にはるかに大きな影響を与えます。
「見た目が9割」という言葉を本当の意味で正しく読むならば、それは外見への執着を煽るメッセージではなく、「表現と伝達の全体を磨け」というメッセージだったのです。

