「本日、その夢が叶いました」
ざわ、ざわ、ざわ……。
稲盛ホールに微妙な空気が流れる。薄暗い場内を切り裂く白い風。バッタ博士は、あのモーリタニアの正装で壇上に立った。すぐには演壇に向かわずに、スクリーンの前で見栄を切る。博士は、小さな容器から粘性の白い何かを取りだし、ゆっくりと自分の眉毛に塗り込めていく。ああ、博士、ちょっと塗りすぎです。
「たった今、心身ともに白眉研究者となりました、前野ウルド浩太郎です。よろしくお願いいたします」
バッタ博士は、今日もやらかした。白眉研究者のひとりとなった緊張と萎縮? 一切ない。安定した収入を得ることからくる安堵と弛緩? それも一切ない。博士は力強い声で、ことばを区切りながらはっきりと話していく。スクリーンには博士がモーリタニアの地で撮影した、大量発生したバッタの撮りたてほやほやの動画が流れている。博士の登場時にくすくすと場内から漏れていた笑い声が消えている。博士が語るバッタの生態に白眉の仲間たちが惹きつけられているのがわかる。5分の発表はあっという間に終わろうとしていた。最後に博士はこう言った。
「白眉プロジェクトの力を借りて、人類史に名を刻めるような研究を成し遂げていきたいと思います。また、若い研究者は厳しい立場に置かれていますので、彼らがもっとより良く研究していけるような場に、少しでも貢献していきたいと思います。小さい頃からの夢は昆虫学者になることでした。本日、その夢が叶いました。関係者の皆さまに厚く御礼を申しあげます。発表は以上です。ありがとうございました」
そこには、バッタの研究がしたくてしたくてたまらない、いつものバッタ博士がいた。会場からの最初の質問者は「2つ質問があります」と手を挙げた。ひとつめは、今後の研究計画について。そして質問者はこう訊いた。
「今、眉毛に塗ったのは、何ですか?」
あとに続く者たちのために
12月16日、博士は離日し、モーリタニアのフィールドへと還っていった。来春からは、白眉研究者としてアフリカの大地と京都を行き来する研究者生活が始まる。
【前野】白眉の先輩たちの話を聞くと、「自分で白眉と名乗るのはおこがましい、恥ずかしい」という声があるんです。でも自分は胸張ってもっと言ったらいいじゃんと思うんです。これから自分が活躍すれば、必ず所属先として白眉の名が出る。自分が活躍しているのを世間に見せることができれば、「ああ、若手研究者はこんなに成果を出す力があるのか」と気づいてもらえて、もっと若手研究者を支援しようという流れが出てくるかもしれない。自分が白眉を名乗ることは、あとに続く人たちにつながっていくと思うんです。組織も大きくなると、ひとりくらい変なのがいたほうがうまく回るんじゃないかと思うので、なんだったら自分、白眉の看板を勝手に背負って、毎日、眉毛白く塗るぜ、と(笑)。
《帰ってきたバッタ博士[番外編]・完》