なぜ「赤いウィーン」の記憶は消えないか
ただし、20世紀の赤いウィーンは、最終的にはファシズムの暴力に敗れた。国政で保守と極右が力を増し、社会民主主義の都市実験は1934年に武力で押しつぶされたのだ。
その歴史を思えば、都市レベルの社会主義がどれほど脆弱であるかを忘れてはならない。都市だけでは、連邦政府、金融市場、資本逃避、司法、警察、軍、メディアの力に対抗しきれない。
それでも、「赤いウィーン」の記憶が消えないのは、欠乏のなかでも別の豊かさをつくれることを示したからである。市場がもたらす消費の豊かさではない。誰もが住める家、子どもを預けられる場所、病気になったときに頼れる制度、孤立しないための公共空間。そうした〈コモン〉の潤沢さこそが、人々をファシズムの誘惑から遠ざける。
「赤いニューヨーク」はどこまで広がるか
繰り返そう。マムダニの「赤いニューヨーク」がどこまで進むかは、まだわからない。それは今後の闘争にかかっている。だが、彼の登場が示したのは、資本主義の中心地でも、社会主義はもはや過去の言葉ではないということだ。むしろそれは、気候危機、インフレ、孤立、戦争、排外主義が重なり合う時代に、普通の暮らしを守るための新しい言葉になっている。
ファシズムか、社会主義か。
この選択は、20世紀の古いスローガンではない。恒久的な欠乏と不安の時代に、誰かを切り捨てて自分だけが生き延びるのか、それとも生活の基盤を共同でつくり直すのか。トランプ大統領に対抗するマムダニ市政の実験は、その問いを私たちの前に突きつけている。日本で暮らす私たちも、海の向こうの出来事として眺めているだけではいられないはずだ。


