ニューヨークの源流となる「赤いウィーン」

だが、ここで強調しておきたいのは、マムダニが政治の問いを根本から変えていることだ。

これまでの都市政治では、「市場が決めた家賃を払えない人に、どれだけ補助金を出すか」が問題にされてきた。だが、マムダニはそうではなく、「そもそも住宅や食料や交通を、なぜ投機と利潤の対象にしてよいのか」と問うている。ここにこそ、民主的社会主義の新しさがある。

この点で、マムダニ市政は1世紀前の「赤いウィーン」を想起させる。第一次世界大戦後、オーストリアの首都ウィーンは、食料不足、住宅不足、インフレ、疫病、帰還兵の失業に苦しんでいた。極度の欠乏のなかで、人々は容易に排外主義とファシズムへと引き寄せられうる状況にあった。

そこでウィーンのマルクス主義者たちが率いる社会民主党政権が選んだのは、市場にすべてを委ねる道ではなかった。水道・ガス・電力などのインフラを公的に整備し、奢侈しゃし税や累進的な税制によって財源を確保し、労働者向けの公営住宅を大量に建設した。その際、住宅は単なる寝る場所ではなく、診療所、保育所、浴場、ランドリー、図書館、集会場、公園などを備えた生活の基盤として構想された。

つまり、「赤いウィーン」が試みたのは、欠乏のなかで人々を互いに競争させるのではなく、必要なものを共有し、生活を共同化し、連帯をつくり出す都市計画だった。これは、ソ連型の上からの中央集権的計画とは異なる。むしろ、都市に暮らす人々のニーズを満たしながら、暮らしの安心を〈コモン〉として制度化する民主的計画だった。

1927年から1930年にかけて建てられた、ウィーン19区にある集合住宅「カール・マルクス・ホーフ」
1927年から1930年にかけて建てられた、ウィーン19区にある集合住宅「カール・マルクス・ホーフ」(写真=Thomas Ledl/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

競争社会から互いに支え合う社会への移行

マムダニの「赤いニューヨーク」もまた、極端な欠乏に直面している。もちろん、それは物資が絶対的に不足しているという意味ではない。

ニューヨークには富が溢れている。高級マンション、金融、IT、不動産、観光、広告、大学、病院――世界中の資本と才能を吸い寄せる都市である。だが、まさにその豊かさが、普通に働く人々から住む場所を奪い、食費を押し上げ、子育てを不可能にしている。これは自然な希少性ではなく、資本主義がつくり出す「人工的希少性」である。

だからこそ、マムダニが就任演説で「荒々しい個人主義の冷たさを、集団主義の温かさで置き換える」と語ったことは象徴的だった。

この言葉は、右派から激しい攻撃を受けた。彼らはすぐに「集団主義」を全体主義や共産主義の恐怖に結びつけようとする。だが、マムダニが言おうとしているのは、国家が個人を押しつぶすということではない。むしろ、孤立した個人が市場で必死に競争しなければ生きられない社会から、人々が互いに支え合う社会へと移行するということだ。