計算力はニトリ社内でナンバーワン
「珠算部」での活動も、振り返るといい思い出として浮かんできます。私は手先が器用だったためか、そろばんだけは中学時代から得意だったので、高校では珠算部に入ったのでした。
入部後は一心不乱に腕を磨き、およそ500人が参加する大会で1位に選ばれました。高校3年生の時には、暗算や掛け算、読み上げ算など複数の部門がある大会でも総合1位に。そろばんを頭の中でパチパチとはじいていくイメージを思い浮かべると、スムーズに計算が進んでいくんです。ここで培った計算力は今でも役立っていますね。
というのも、ニトリの社内で私の計算スピードと正確さはナンバーワン。社員の皆が電卓を叩くよりも、私が頭の中でそろばんをはじくほうが速いのです。原価計算、為替計算、輸送コストなどはお手の物。社員の誰よりも速く正確に、楽々と済ませることができます。頭のいい人がたくさんいるニトリですが、事業に関係する四則計算は私のほうがずっと速いし、自信があります。
他がダメでも、たったひとつ得意な何かがあれば道が開けると気づけた意味で、そろばんは大きな助けになってくれました。今でも、頭の中でそろばんをはじくからこそ、社内の様々な数字が頭にしっかりと入っています。
そろばんで1位になり、ボクシングで自信をつけたりもして、高校生活を何とか乗り越えたものだなあと振り返ります。周囲との違いに気づきながらも、自分なりの強さを見つけ始めた時期だったと言えるかもしれません。
苦手を避けることばかり考えたり、できない自分を責め続けたりしなかったことは良かったです。「他に何かできそうなことはないかな?」と前向きにチャレンジしたからこそ、思わぬ自信がついたり、今にも繋がる特技を見つけたりできたのだと思います。
資金援助なし、アルバイト三昧の大学生活
「まだ社会に出たくないなぁ」という一心で大学受験をしました。勉強は苦手のままでしたが、1962年、札幌短期大学になんとか滑り込みました。
父が経営するコンクリート会社に入ることから逃げるためだけの進学でしたし、進学の条件として、「資金援助はナシ」と両親と約束していました。なので、自分で授業料や生活費を稼ぐ必要がありましたから、キャンパスには1週間に1回行くか行かないか。アルバイト三昧の毎日でした。
学費を自分で出すなんて無理、進学は諦めるだろうと、両親とも思っていたはずです。でも私は諦めなかった。やると決めたら、無茶な手段でも実行に移してしまうところがありますから。
父の会社の手伝い、雪下ろし、お歳暮の配達など、とにかくたくさんのアルバイトに励んでいました。多動と不注意による失敗も多かった中、稼いで貯めたお金を失う痛恨の出来事がありました。
当時は日本のさまざまな地域に「無尽」や「頼母子」「講」「合力」と呼ばれる民間金融がありました。無尽とは仏教に由来する言葉で、困っている人を助けるために仲間内でお金を融通する仕組みです。
戦後の混乱期から復興期、母もまた引き揚げ者住宅が集まる地域で無尽に参加していたのでした。いざという時のためでもありましたが、まとまった額を貸し付けると1年後には利子が付いて戻ってくる利点もあったのです。

