死が日常に入り込んでくる
治療を始めたころは、同級生に置いていかれる焦りがあったが、再発した後は、そういう気持ちはなくなった。小児がんの病棟で治療を受けていると、いっしょに治療をしていた仲間が、気がつけばいなくなっていたりするなど、死が日常に入り込んでくる。
彼女が用いた「健康な世界にいる同級生たちとは違うんだ」という表現から、生死の厳しい現実と向き合っている自分は修羅場をくぐっているのだ、甘っちょろく生きている君たちとは違うんだというふうに、自らを肯定しようとするニュアンスを私は感じた。
肝未分化胎児性肉腫が再発した場合の治療成績は絶望的に感じたが、加茂さんには化学療法を受けないという選択はなく、ベルトコンベアに乗っているような感覚で治療を受けた。
ある日入院中に腫瘍から多量に出血したために意識が遠のいて、そこから記憶がない。もうろうとしながらも意識が戻ったときに、ベッドサイドにお父さんがいた。
そして、自分の心臓が止まった場合に蘇生措置は行わない旨の説明を受けていて、お父さんはその同意書にサインをした。
「死にたくない」と「死んで楽になりたい」
このとき、「自分の最期すら自分で決められないのか」とおぼろげながら思うとともに、「死にたくない」という感情が沸き上がったそうだ。
理知的に考えれば、死ねばすべて終わりで意識もないのだから怖くないはずだが、そのときは理屈では説明できない強い感情が沸き上がったそうだ。
絶体絶命のピンチを脱して、その後も化学療法を続けた。あまりにも副作用が強いときは、死にたくないという気持ちが、「もう死んで楽になりたい」という気持ちに容易に変わったそうだ。
「死にたい」と「死にたくない」を行ったり来たりしながら、加茂さんはこの時期を過ごした。
苦しい副作用に耐えて繰り返し受けた化学療法は非常によい効果を示して、身体からがんを取り除くための治療を受けることができた。
その後退院してからの1年は体力が著しく低下していて、最寄りの駅まで歩くのが精いっぱいだった。体力が回復してきたので、彼女は20歳のときに再び予備校に通うことにする。
がんは見えなくなったものの、頭の片隅には自分のがんの絶望的な治療成績があったので、また再発することが頭には常にあった。なので、大学に合格して、その後社会人として生きていくイメージは描けなかった。
しかし、それ以外の道を想像できなかったので、以前走っていたレールに戻ることにしたそうだ。

