「伝統がないからこそ」という常識破り

当時は日本経済が好調で、バブル期に向かっていく最中。全国的には巨大イベントによる町おこしが盛んだった。けれど東川は「写真」という文化で地域のアイデンティティづくりをしようと考えた。これを企画したスタッフは、フランスの地方都市で行われていた写真展を参考に、「文化の歴史のない町が写真という文化に取り組んで、伝統のなさを利点にしよう」と考えたという。

その提案を受けた時の町長は、「町民の一体感を醸成したい」という意図で、この取り組みに乗った。大雪山国立公園に抱かれた、写真映りのいい町であることを町のアイデンティティにしようとしたのだ。

当初から世界に門戸を開き、プロフェッショナルなフォトグラファーの作品に「東川賞」をはじめとする5つの賞を定め、篠山紀信、荒木経惟、橋口譲二といった有名フォトグラファーたちを選定していった。転機になったのは、第10回に全国の高校生を対象にした「写真甲子園」を併設したことだった。

それまでは、どんなに有名な写真家が町にやってきても、町民たちは及び腰だった。「俺たちの税金がそんなことに使われて意味があるのか?」という批判もあった。けれど高校生相手ならば、町民たちも自宅にホームステイさせたり食事の世話をしたりして、「町民参加型のイベント」になる。

前例も予算もない、限界寸前の町の大改革

高校生たちも夏の数日間東川町民のお世話になれば、卒業して大学生になったら今度は「ボランティアスタッフ」として町に戻ってきてくれる。若者を受け入れれば町は活気づく。そのまま写真の世界に進もうと考える若者は、移住地として東川を選ぶケースも増えてくる。

同時にメディアからの取材も増えた。東川の町名と「写真甲子園」の取り組みは全国に響き渡り、「新聞で見たよ、テレビでも映っていたよ」と話題になる。町外や道外の親戚や知人からそんな声を聞くことで、町民たちも「写真の町活動」を、「おらが町の誇り」と認識するようになっていったのだ。

ところが、1999年(平成11年)ごろのこと。写真の町活動とは別に、東川では町を二分しての大論争が沸き起こった。それは、時の政府が主導した「平成の大合併」を巡る論争だった。近隣の市町村と合併するべきか否か? 全国どの自治体でもこの論争は沸き上がったが、東川でも町長選挙を挟んで、賛成派と反対派が互いの意見を激しく主張したのだ。

その時東川町民は、「合併せず、自立路線」を主張して町長選挙に出馬した元役場職員の松岡市郎を町長に選ぶ。松岡は2003年に当選して町長になると、「合併せず自立を選んだ以上、何もしなければ町はつぶれる。町が自立存続していくためには『前例がない』『予算がない』と言い訳して仕事をしていてはダメだ。町にプラスになることであれば、それをどうしたらできるかを考えろ」と職員を鼓舞して、積極財政路線を敷いた。

市内のデモで拳を上げた人々
写真=iStock.com/FilippoBacci
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