信長はさぞ混乱していたか
正直、信長にしてみれば「め、面倒くせえ……」であろう。
信玄は、なんか不気味なキャラみたいに思われているものの、損得で決められる相手である。しかし、謙信は違う。義で動くみたいなことをいってるけど、なにが義かを判断するのは、自分の感情である。ようは、好きか嫌いかで全部を判断するし、感情がすべてだから、その日の気分でブレる。おそらくは、家臣や使者たちから謙信の情報をかき集めた信長だが、きっと余計に混乱しただろう。
景連「いや〜謙信様はですね、義のために戦う方でして」
信長「ほう、義ね。で、何が義なの」
景連「それは……その時々で」
信長「その時々?」
景連「はい、謙信様がそう感じられた時が義でございます」
信長「……感じた時?」
景連「はい」
信長「つまり気分?」
景連「……義です」
信長「……め、面倒くせえ、デートじゃねえんだよ!!!」
しかし、笑い話で済まないのが謙信の本当の怖さだ。信長が恐れるのも当然である。なにしろ、1574年には屏風を送って必死に気を遣っていたのに、わずか2年後の1576年、謙信は能登国七尾城に侵攻を開始している。
“読めない謙信”と激突した、手取川の戦い
そもそも能登は、織田と上杉の勢力が拮抗する際どい場所だ。しかも七尾城の城主は、守護・畠山義隆が死去した後を継いだ幼児の畠山春王丸である。つまり謙信がちょっかいをかけたのは、お世辞にも強いとは言えない相手だ。信玄ならまず「今ここを突いたら信長との関係がどうなるか」と計算する。しかし謙信は計算しない。感情が「今だ」と言えば動く。だから進路が読めない。義とかなんとか、カッコイイことをいっているけれども、実際は気分で動いているだけである。
そしてその読めない謙信と、ついに織田軍は激突したのが、手取川の戦いである。この面倒くさい相手との戦いを、信長は柴田勝家に丸投げした形になったわけだ。このエリア、謙信は来るし、謙信と手を結んだ一向一揆は大暴れしているしで、信長としても征服は後回しにしておきたいところである。信長も、面倒くさすぎて考えることをやめたのではなかろうか。
かたや謙信は、手取川の戦いの後に気分は上々だったようだ。
江戸時代に編纂された『歴代古案(江戸時代に越後長尾氏=越後上杉氏の文書を収集したもの)』にはこんな文書が収録されている。
安外ニ手弱之様体、此分ニ候ハ、向後天下迄之仕合心安候
(織田軍は)思いのほか手弱な様子、このぶんでは今後、天下取りも心安く(楽勝で)いけそうだ。
(高橋義彦 編『越佐史料』巻5 名著出版1971年)

