教科書では「完璧な答え」を提示しない
こうして見ると、この教科書の意図が見えてきます。それは、すべての点について中立的・網羅的に情報を提供しようとするのではなく、教科書自体が一定の立場を示したうえで、それについて生徒が自由に考えることを促すという姿勢です。
教科書は「完璧な答え」を提示するものではなく、「考えるための素材」を提供するものである――このような教育哲学が、この教科書には貫かれているように思われます。
もちろん、これには批判もあり得ます。「教科書が不完全であることを認めるなら、なぜ最初からもっと網羅的に書かないのか」「三枚舌外交を個人の物語に矮小化しておきながら、『考えさせる』というのは責任逃れではないか」といった指摘は十分に可能です。
しかし、別の見方をすれば、これは歴史というものの本質的な不完全性を教えているとも言えます。どんな歴史叙述も、特定の視点からの選択と編集の産物であり、完全に中立で客観的な歴史など存在しないということを、教科書自身が体現して見せているのです。
日本の教科書との決定的違いとは
イギリスの中学生向け歴史教科書を分析して見えてきたのは、反省と矮小化の間を揺れ動く、複雑な自国史の描き方でした。
三枚舌外交のような重大な国家的背信行為を、一個人の「叶わなかった夢」という物語に落とし込むことで、その深刻さを相対的に薄めてしまっている側面もあります。これは意図的な矮小化なのか、それとも教育的配慮によるものなのか、判断は難しいところです。
しかし最も興味深いのは、教科書自身が自らの「不完全性」を認め、生徒たちに批判的に考えることを促している点です。
日本の歴史教科書と比較すると、その違いは鮮明です。日本の教科書は網羅的・中立的であろうとするあまり、個々の出来事の記述が簡潔になりがちです。
一方、イギリスの教科書は、限られた事例を深く掘り下げ、その問題点を生徒自身に考えさせる構造になっています。
もちろん、どちらの方法が優れているかは一概には言えません。しかし、「世界史を学ぶとイギリスが嫌いになる」と言われる当のイギリスが、自国の負の歴史をどう教えているのか――その一端を知ることは、私達自身の歴史教育を見つめ直すきっかけにもなるでしょう。


