エモい物語になってしまった3つの理由

では、なぜこのような物語的構成を採用したのでしょうか。いくつかの可能性が考えられます。

第一に、中学生という対象年齢を考慮した教育的配慮です。複雑な国際関係や外交政策の矛盾を理解するのは難しいため、一人の人物に焦点を当てることで理解しやすくしたという側面があるでしょう。

第二に、「善意の個人」と「システムの問題」を切り分けることで、批判の矛先を分散させる効果があります。

ガートルード・ベル個人は中東の平和を願っていたが、イギリス政府の政策によって妨げられた――このような構図にすることで、問題を「システムの欠陥」として提示し、個人(ひいては読者であるイギリスの生徒たち)の罪悪感を軽減しているとも解釈できます。

第三に、歴史を「物語」として提示することで、生徒の興味を引きやすくするという実践的な目的もあるでしょう。抽象的な外交政策よりも、一人の女性の人生のほうが感情移入しやすく、記憶に残りやすいのは確かです。

しかし、いずれの理由があったとしても、結果として国家の責任が個人の悲劇へと矮小化されてしまっているという批判は免れないでしょう。

パキスタンの貧困層の女の子
写真=iStock.com/zms
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「アボリジニの虐殺」も書かれていない

ここまで読むと、この教科書は自国の負の歴史に対して中途半端な態度を取っているように見えるかもしれません。しかし、興味深いことに、この教科書の執筆者たちは、そのような「問題」を自覚していたようです。

その一端は、教科書の最後の章に現れています。

最後の章には、教科書を使用している子どもたちに対して、「オーストラリアの歴史について書かないのはなぜか」など、イギリス史(それも負の側面)を語るうえで欠かせないトピックが扱われていないことをあえて指摘させるページが用意されているのです。

これは極めて挑戦的な教育手法です。多くの教科書は、掲載されている内容が「正しく完全である」という前提で書かれています。

しかし、この教科書は自らの「不完全性」「選択性」を明示し、それについて生徒が批判的に考えることを促しているのです。

オーストラリアといえば、イギリスによる植民地化において、先住民アボリジニに対する虐殺や文化破壊が行われた場所です。

この重要なトピックが教科書に含まれていないことを、生徒自身に気づかせ、「なぜ含まれていないのか」を考えさせる――これは、教科書というメディア自体の政治性を教える、非常に高度な教育実践と言えます。