思い込みやしがらみを捨てる

「ずっと、『自分は出来損ないなのだから、人よりも努力しなければいけない』というどうしようもなく拭えない固定観念があり、それが正しいと思っていました。頑張ること、努力すること、何かを犠牲にすることが正義であり、当たり前のことだと思っていました。でも今は、私はそう思い込むように育てられてきたのではないかと思います」

27歳頃、佐藤さんは電話で母親に、「なぜあの頃、誰も褒めてくれなかったの?」とたずねたところ、「(試合結果などを)知らなかったの」と懺悔するように答えた。佐藤さんは、「そうか。知らなかったら褒めるも祝うもないもんな」と納得した。

電話
写真=iStock.com/Chainarong Prasertthai
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ところが、36歳の10月に帰省した時、「父だけは知っていた」ことを知った。

「顧問のT先生は、父には私の試合結果を伝えていたのです。私は『すべての元凶はこいつか』と頭に血が上り、日本酒の一升瓶を手に取ろうとしましたが、長年自分を殺し続けた理性が私を押さえつけました」

36歳の12月、日本で最も寒い町に向かったのは、父親に復讐するためでもあったのだ。

“血の通った愛情”が感じられたら…

発達障害やLGBTで苦しんできた佐藤さんは、「私立の高校に下宿で進学させてあとは放置」というお金だけ与える“無機質な愛情”ではなく、「頑張りを認め、つらい時に寄り添う」“血の通った愛情”が感じられる両親のもとで育っていたら、その苦しみは軽減できていたかもしれない。

もちろん、共働きの両親も、生活していくために精一杯だったのだろう。だが、子どもをもうけた以上、愛情を示して育て上げる責任がある。仕事のせいで試合を見に行くことができないとしても、試合の結果を聞くことや、毎日の頑張りに気を配ることはできたはずだ。

佐藤さんは父親を憎んでいるが、母親も全く知らなかったとは思えない。試合があることを知っていたなら、結果が気にならないのはおかしい。子の頑張りを知ろうともしなかったとすれば、それは親として拭いがたい罪ではないか。

長い間、無言で「僕を見て!」と叫び続けてきた佐藤さんは、ただ叫ぶだけでは見てもらえないから、努力して、頑張って「褒めて!」と声を上げ続けた。だが、16歳で声が枯れてしまったのだろう。どう頑張っても見てもらえないなら「もう僕を見ないで!」と、物理的に見えない場所へ逃避した。