うんこの日本史

次に、人類がどのように「うんこ」と向き合ってきたのか、その長い歴史をたどってみます。一般的に、うんこといえば「汚いもの」という印象を持たれがちです。しかし、実のところ、うんこほど時代によって評価が変わり、愛されたり嫌われたりを繰り返してきた存在もそうありません。

それでは、ざっくり見ていきましょう。まずは弥生時代。日本最古のトイレは紀元前4世紀〜3世紀ごろの川辺にあったとされる「かわや」です。これは文字通り、川のそばで尻を出して用を足すスタイル。橋の先端に座って水面に向かって放つという、なんとも風通しのいいシステムでした。このときのうんこはただの排泄物ではなく、魚たちのご馳走でもありました。実際、魚はうんこを普通に食べますし、こうした生態を見ていると、自然の循環ってよくできてるなと思わされます。

奈良時代や飛鳥時代には、さらに進化したトイレ文化が登場します。たとえば藤原京には、碁盤の目状に整備された道路と、それに沿って敷設された側溝がありました。

この側溝が雨水を流すだけでなく、トイレとしても活用されていたのです。合理的ですが、下流の人にはちょっと不親切かもしれません。平城京では一日10〜20トン、平安京ではなんと24〜26トンのうんこが流れていたと推定されています。

罪人が掃除をさせられていたという記録もあり、当時のトイレ管理には人海戦術も使われていたようです。

こうした古代のトイレ跡からは、植物の種や魚の骨、寄生虫の卵などが見つかっています。うんこはタイムカプセルのようなもので、何を食べ、どう暮らしていたかを如実に語ってくれるのです。しかも、仏教で肉食が忌避されていたはずの奈良時代にも、うんこからは牛肉や豚肉の痕跡が……。いやはや、食の履歴は正直です。

経済を回したり、窓から降ってきたり

そして話は江戸時代へ。うんこは本格的に商取引の対象となります。「俺が買い取る!」「いやウチの畑に必要なんだ!」と、まさにうんこをめぐる争奪戦。挙げ句の果てには、うんこの所有権を巡って裁判沙汰になることもありました。こんなにも人に求められた排泄物、後にも先にもありません。

なぜそんなに価値があったかといえば、言うまでもなく肥料になるからです。人糞は栄養たっぷりの天然資源。まさに地に返せば富になる、そんなリサイクルの理想形だったのです。町民はうんこを集めて売り、農民はそれを買って畑に撒く。言ってしまえば「うんこ経済」が成立していました。

一方、同時期のヨーロッパはというと、まさに「うんこ暗黒時代」。排泄はバケツ(おまる)で済ませ、その中身は窓から通りへ投げ捨てていました。朝の通勤中に「上から何かが降ってくる」なんて日常茶飯事です。そういう意味では、日本は世界的に見てもかなり先進的なうんこ文化を築いていたと言えます。

実際、江戸時代に日本を訪れた外国人たちは、日本人がうんこを肥料として活用していることに驚きました。シーボルトやツュンベリーといった医者や学者たちはその実用性を高く評価しています。一方、オランダ人のフィッセルは「旅行者にとってこの匂いは耐えがたい」と、ちょっと眉をひそめていました。まあ、慣れの問題です。