伝統への関心に映る秋篠宮家との違い
愛子内親王の盆栽への強い関心が社会的にどういった影響を与えるかはこれからのことだろうが、古くさい老人の趣味と思われがちな盆栽を日本の伝統としてとらえ直す契機になっていることは間違いない。
本人も、そのことは十分に意識しているはずで、雅楽の場合もそうだが、皇室の伝統に自分が強い関心を示すことで、国民にも同じようにそれに関心を向けてほしいと切に願っているのではないだろうか。
悠仁親王の場合にも、成年の儀を経験したことで、伝統文化に対する関心を深めている。私的に訪れた京都では、雅楽や蹴鞠を体験し、そのときの写真が宮内庁によって公開されている。
秋篠宮も、2017年に「第8回世界盆栽大会inさいたま」では名誉総裁を務め、盆栽への関心は持っている。
ただ、秋篠宮家が一家で、雅楽演奏会を鑑賞したり、国風盆栽展を訪れるということは、いまだ行われていない。
「愛子天皇」待望論が高まりを見せるワケ
天皇家が一家でそうした場に臨むということは、親から子へと伝統の継承がなされていることを国民全体に強く印象づけるものとなる。それを天皇家の人々は十分に意識している。
だからこそ、一家で公務に臨むことが増えているわけである。
「愛子天皇」待望論が高まりを見せるのも、こうしたことが影響している。天皇家では十分に帝王学が伝授されているのに、秋篠宮家では決してそうではないように、どうしても見えてしまうのだ。
そのような印象を国民が抱くのは、悠仁親王が大学を卒業し、留学を果たした後にまで続く。その間、「愛子天皇」待望論が鎮静化することはないであろう。
愛子内親王が、今国会で進む皇族数の確保の議論にどういった思いを抱いているかはわからないし、見解が発表されることはない。
だが、国会での議論が血統による継承のことに終始し、皇室の伝統への理解という観点が抜け落ちていることに対して、それとなく警鐘を鳴らしているようにも見えるのである。

