醍醐帝の世に確立された日本の雅楽
愛子内親王が、最初は今上天皇とともに訪れていたが、今では単独で鑑賞するようになった経緯からすると、「雅楽のことは愛子に任せた」という天皇の意思が感じられる。
もちろんそこには、愛子内親王が雅楽に強い関心を寄せているという個人的な事情もあるだろうが、内親王には、自らが演奏会に臨むことで雅楽への関心を高めたいという思いがあるはずである。
『源氏物語』のなかで「青海波」を舞った光源氏は、帝位には就かなかったものの桐壺帝の皇子であった。そこには雅楽が皇室の伝統であることが示されている。もともと雅楽は飛鳥時代から奈良時代にかけて大陸から伝来したものだったが、平安時代の10世紀初頭、醍醐帝の時代に日本独自の形式に整えられている。
帝や公家が、自ら笛や琵琶などを演奏することもあり、なかには「名手」と言われた帝もいた。醍醐帝は笛、その子である村上帝は琵琶と琴に秀でており、平安末期の後醍醐帝になると、「神器」と言われた唐から伝来した絃上という琵琶を奏している。
愛子内親王自身は歴代の帝とは異なり笛や琵琶を演奏したことはないようだが、学習院初等科で管弦学部に入って以来、チェロの演奏を嗜んでいる。今上天皇がビオラを演奏することはよく知られているが、「オール学習院の集い」では親子共演も果たしている。音楽に対する関心は強く、それが雅楽の鑑賞に熱心になったことに結びついているようだ。
皇室が保持してきた伝統への思い
江戸時代まで、雅楽は京都、奈良、大坂の三つの拠点で守られ、今でも民間に演奏活動を続けている団体がある。私も法隆寺の「聖霊会」という法要で、その一つ「南都楽所」が僧侶の読経とともに雅楽を演奏するのを聴いたことがある。
今日、雅楽を保存する上で中核となっているのが「宮内庁式部職楽部」であり、この団体は無形文化財にも指定されている。愛子内親王が続けて鑑賞に訪れることで、この団体の活動を支援する形になり、伝統の保持に貢献している。
愛子内親王は、それを皇族の役割として強く意識し、一般の国民の関心を皇室が保持してきた伝統へ関心を向けさせようとしているように思えてくる。その証拠はもう一つの事柄にも示されている。
2月17日には、天皇一家は上野の東京都美術館で開かれた「国風盆栽展」を訪れている。
それは100回目の記念展で、そうした際に天皇や皇族が訪れることが多いわけだが、主催は一般社団法人日本盆栽協会であり、その名誉総裁は三笠宮寬仁親王妃家の信子妃が務めている。信子妃は、一家の案内役にもなっていた。
皇族が日本盆栽協会の名誉総裁に就任しているのも、これから述べるように、皇室と盆栽との関係には極めて深いものがあるからである。

