醍醐帝の世に確立された日本の雅楽
愛子内親王が、最初は今上天皇とともに訪れていたが、今では単独で鑑賞するようになった経緯からすると、「雅楽のことは愛子に任せた」という天皇の意思が感じられる。
もちろんそこには、愛子内親王が雅楽に強い関心を寄せているという個人的な事情もあるだろうが、内親王には、自らが演奏会に臨むことで雅楽への関心を高めたいという思いがあるはずである。
『源氏物語』のなかで「青海波」を舞った光源氏は、帝位には就かなかったものの桐壺帝の皇子であった。そこには雅楽が皇室の伝統であることが示されている。もともと雅楽は飛鳥時代から奈良時代にかけて大陸から伝来したものだったが、平安時代の10世紀初頭、醍醐帝の時代に日本独自の形式に整えられている。
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