中国と朝鮮の近代化拒否は「日本の不幸」

また、そもそも「脱亜」という言葉は、福沢のオリジナルでもない。福沢が懇意にしていた日原昌造ひのはらしょうぞうがアジア諸国の連帯を志向する組織の「興亜会」に対して、「脱亜会」を設立してはどうか、と主張したのが初出とされる(『時事新報』明治17年11月11・13・14日付)。

しかし、この「脱亜論」の認知度が、いまなお高いことも確かである。『福沢諭吉事典』も「脱亜論」を項目立てし、「戦後福沢諭吉のアジア論を否定的に再評価する流れの中で、端的な表題であることもあいまってにわかに脚光を浴び、広く知られるようになった」と解説している。

今日でも「脱亜論」は、アジア侵略主義の嚆矢と理解されることが多い。本書が日本近代史の専門家に向けたものならば、「脱亜論」という言葉を特段取り上げる必要性はないかもしれない。しかし、前述の状況に鑑み、「脱亜論」という言葉をあえて項に盛り込むこととした。

もちろん、「脱亜論」には過激な表現が多い。たとえば、こういう具合である。「ここに不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云ひ、一を朝鮮と云ふ」。これら両国の教育は「一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、其実際に於ては真理原則の知見なきのみか、道徳さへ地を払ふて残刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し」。そして、「悪友を親しむ者は共に悪名を免かる可らず。我れは心に於て亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」と結ばれる。

「アジア侵略を狙っていた」という誤解

「脱亜論」で用いられている言葉を組み合わせれば、福沢を極悪非道な侵略主義者に位置づけられる。また、近隣諸国に差別的な考えを持つ者が、「脱亜論」を用いて自説を補強することもできてしまう。

久保田哲『福沢諭吉 敗け続けの偉人』(集英社インターナショナル)
久保田哲『福沢諭吉 敗け続けの偉人』(集英社インターナショナル)

とはいえ、ここまでに述べてきたように、そもそも『時事新報』の社説を表層的に、単純に理解することは大きな誤解を生じかねず、福沢の朝鮮問題への関与や『時事新報』社説の筆致を顧みれば、「脱亜論」にアジア諸国への侵略などの意図が毛頭ないことは明らかであろう。「脱亜論」は、これまでに紹介した他の社説やその他の言説と総合して理解すべきであり、そうした文脈からみれば、福沢の敗北論の一つであった。

ただし、「脱亜論」そのものにあえて言及するならば、「日本の国土は亜細亜の東辺に在りといえども、其国民の精神は既に亜細亜の固陋ころうを脱して西洋の文明に移りたり」などと、日本が他のアジア諸国と異なり文明化を進めてきたことを強調している点に着目したい。そもそも「アジア」という語は、西洋からの視線に基づいた日本周辺の地域の呼称である。福沢が、「アジア」(「東洋」ではない)という言葉を持ち出していることの意味を考えたい。

「脱亜論」で本当に伝えたかったこと

「脱亜論」で用いられる「アジア」には、非文明諸国という含意があることは間違いない。そこを脱しようという「脱亜論」は、清仏戦争を契機に覇権主義的な一面を出してきた(と福沢がみた)西洋に対して、日本は文明国であり、軍事侵略は容易ではないとアピールする意図を看取できるのである。福沢が社説の執筆に際して、ときに諸外国も意識していたことはすでに触れた。つまり「脱亜論」は、福沢が西洋諸国から日本の独立を守るために展開した主張でもあった、と筆者は考えている。

三代目歌川国貞作「清仏戦争図」
三代目歌川国貞作「清仏戦争図」(画像=World Imaging/PD-Art (PD-Japan)/Wikimedia Commons

付言すれば、日本が「アジア」とみられることへの違和感や危機感など、すでに徳川期より一部の知識人がさまざまに思考をめぐらせていた。もちろん、明治の知識人たちも同様であり、福沢ばかりが特筆されるべき存在ではない。福沢の「脱亜論」も、こうした思想史的系譜のなかで理解する必要がある。

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