福沢諭吉が説いた「実学」の重要性
さて、ここではその初編の内容を紹介しておこう。初編は、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と始まる。あまりにも有名な一説である。しかし重要なのは、この後に「と云へり」と続くことである。
「万人皆同じ位にして、生れながら貴賤上下の差別」がないとしながらも、世の中を眺めてみれば、「貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もあ」るではないか、と指摘する。福沢は、天賦人権論を主張しつつ、人間社会の現実にも言及する。
それでは、その違いは何に起因するのか。福沢はそれを学問に求めるのである。
学問といっても、漢学や国学ではなく、実学である。具体的には、地理学や窮理学、歴史学、経済学、修身学などを指す。今日の感覚からすると、歴史学や修身学は意外に感じるが、前者は「万国古今の有様」を学ぶ点が有意義であり、後者は「天然の道理」を知るためのものである。福沢は、これら実学を誰もが学ばなければならないと述べた。
『学問のすゝめ』で本当に伝えたかったこと
それでは、学問をするうえで必要なものは何か。それは、自由や権利について知ることである。人は生まれながらにして自由であるが、勝手気ままに振る舞っていいわけではない。他人の妨げにならない範囲で自由に振る舞うことが重要である。これは、国家にも当てはまる。日本も、西洋諸国も、その他の国も、同等に付き合っていくべきである。「天理人道」を貫く国を尊重し、こちらに道理があればたとえ西洋諸国に対してでも毅然と主張すべきである。
徳川の時代は、「政府の威光を張り人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて、実なき虚威」が横行していたが、明治政府になって政治は改まり、「外は万国の公法を以て外国に交り、内は人民に自由独立の趣旨を示し」ている。だからこそ私たちは、政府が道理から外れれば毅然と批判し、堂々と議論すればいい。
この道理を知るためには、学問が不可欠である。「愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府」がある。人びとが学問を志し、「物事の理を知り文明の風に赴くことあらば、政府の法も尚又寛仁」なものとなろう。つまり、「一身の行ひを正し、厚く学に志し、博く事を知」ることが、「全国の大平」につながるのである(『全集』三)。
江戸から明治に時代が移り、世襲身分制度が崩壊した。これにより、かつての武士のなかには、路頭に迷う者もいた。何のために生きればいいのか、目的を持てなかった者もいた。福沢の『学問のすゝめ』は、旧身分を問わず、彼らに生きる指標を与えた。学問は個人の、そして国家の幸福につながるのである、と。



