「ここからきれいに撮れる」という“小さな折り合い”
京都人以外でも見聞きしたことがある有名な例は、「鴨川の等間隔」の文化でしょう。京都には京都市の中心部を流れる「鴨川」という川があります。この鴨川は、市民や観光客が散歩やデート、休憩などで訪れる憩いの「場」です。ここでは、夕暮れになると川沿いにカップルが並んで座りますが、不思議なことに自然と隣同士が等間隔に離れて座っており、一つの名物となっています。
誰かが決めたルールではなく、「このくらい距離を取ったほうがお互い気持ちいい」という「暗黙の共通理解」が働いているのです。このような鴨川の風景は、京都人が日常的に行う「小さな折り合い」の表れです。
他にも京都で有名な祇園にある新橋通りの例を挙げましょう。この通りでは舞妓さんや町並みを写真に撮ろうと、とくに観光客が集中的に集まっていました。当然そこは地域住民が暮らす「場」でもあるので、ときに歩きにくさや窮屈さが生まれます。
そんななか、地域の人たちは、撮影禁止による排除ではなく、やさしい言葉やイラストで「この角度からはきれいに撮れますよ」と伝えて導線を整えたり、商売として写真撮影する人たちには「専用の腕章」を付与する(この場合には取り決めがある)ようにしました。
自分たちの生活を守るためだけの拒絶はせず、「住民」「観光客」「事業者」など、それぞれの立場を踏まえた「小さな折り合い」を実践しているのです。
説得ではなく、お互いを尊重する
これらは一見、些細なことですが、その場その場で調整しています。そのままでは「よそさんの振る舞い、ちょっと困るわぁ」と思うことも、争いを避ける折り合い術で「まあ、これならええよね」に変えて事前に火種を消火しているのです。その結果、大きな対立に発展せずに、暮らしが回っていきます。
このように京都では、争いが起きそうな事柄に対して「小さな折り合い」を積み重ねて合意形成します。これは自己の価値観を押し付けて「相手を説得する」よりも「お互いを尊重する」文化と言えます。
ここまでを読んで、あなたは「これはあくまで京都の話」と思ったでしょうか? あるいは「これは京都に限った話ではない」と感じたでしょうか?
先ほど、京都は「多文化・多様な価値観が交錯する地」とお伝えしました。そして、そんな地で京都人は「同じ場所で看板を出し、入れ代わり立ち代わり訪れるお客様に応対し続けている」という話もしました。
私はこのような「外から訪れる価値観」と「内なる価値観」のせめぎ合いこそが、「争いの火種」になっていると考えています。
じつはこの状況は、現代の私たち誰もが触れているものでもあります。その最もわかりやすい例がSNSです。


