家事育児を「回数」で測ると不満につながる
共働き家庭が増えて、「どちらも仕事をしているのだから夫婦は平等に家事も育児もすべき」といった考え方が広がりました。それはとても大切なことですし、負担感が減るならば、そうしたほうがいいと私も思います。
しかし、平等性を追求するあまり、むしろ苦しくなっているケースもよくみかけます。例えば、「私の方が習いごとに送りに行っている回数が多い」「洗い物は交互にするはずなのに全然やらない」といった不満が出ていくのです。
追求しすぎると、「何回」や「何時間」といったことが気になり、相手を取り締まりたくなってしまい、「精神的な余白」とは、真逆の心理状態になっていきます。私の講座生の中には、「以前の私は、みみっちくカウントしていました」と言う人もいました。「みみっちい」と感じることを続けていると、どんどん自分のことが嫌いなっていきます。
数値ベースではない平等の捉え方は、「その分野は私のほうが得意だからやる」です。
岩田家では、寒かったり暑かったりして身体にこたえる外遊びは、「私は嫌だ」と伝えて、夫にすべて託していました。一方の夫は、外で遊ぶことは全然苦ではないとのこと。だから、私は「帰ってきたら国賓級にもてなしてあげるから!」と感謝を伝えて、送り出していました。正直なことをいうと、夫と子どもの帰宅直前に「やばい! 帰ってくる!」と慌てて、お風呂を沸かして、ご飯を作っておくだけなんですけれどね。
相手が「どんな家事・育児をしているか」書き出す
しかし、そうしておくと、夫も上機嫌だし、私も上機嫌でいられます。
子どもの送迎なども、通勤しているのか在宅ワーカーかで、まったく時間の取れ方が異なります。だから、得意だから、自分のほうが担いやすいからといった特性や環境で決めていけばよいと思うのです。
「自分ばっかり家事をしている!」と思っていると、パートナーが何をしているかが見えなくなっていることも多いものです。そんな時には、次の「パートナーがどんな家事・育児をしているか」思いつくだけ書き出してみてください(図表1)。
すると、「『何もしてくれない!』と思っていた時はまったく気づかなかったんですが、実は夫が毎日洗濯機を回していたんです。書き出してみて、ハッとしました」といったことを口にする人もいます。
このワークには、「客観的に分担状況を把握すること」と同時に、自分の思い込みに気づく意味もあります。「これもやっていた」「あれも黙ってこなしていたんだ」といった実情が見えてくると、パートナーへの感謝の気持ちが湧いてきます。
その状態になれば、「数字的な平等を手放してみてもいいかな」とも思えるはずです。

