「半兵衛の変わり者ぶり」は“計算”だったか
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。3月1日と8日の放送で、ついに天才軍師・竹中半兵衛(菅田将暉)が登場した。
竹中半兵衛といえば、史実でも秀吉(池松壮亮)・秀長(仲野太賀)の天下取り前半における最重要人物だ。三木城攻めの最中に夭折した生涯も含めて、伝説的に語られてきた。これまでの大河ドラマでも米倉斉加年、古谷一行ら名優が演じてきた重要な役どころに、今回は33歳の菅田将暉が挑む。ちなみに史実の半兵衛が世を去ったのは36歳。演じる俳優と役の年齢が、奇妙なほど近い。
菅田が特に強調しているのは「相当の変わり者」としての半兵衛像だ。
史実の半兵衛は、よくぞ秀吉と秀長が使いこなしたと思うほど扱いづらい人物である。訪ねていっても面会すら断る。諸葛孔明への「三顧の礼」は物語として読めば格好いいが、実際に断られた側はたまったものではない。断ってるほうも安売りしない自分を褒めつつも「もう来ないんじゃないかと」と気が気でなかったはずだ。
そんな変わり者の半兵衛だが、現代の視点から見ると、この「変わり者ぶり」がまるで違って見えてくる。もしかして、これはすべて計算しつくされたセルフブランディングだったのではないか。
コンサルの「案件」そのもの
半兵衛のブランディングの最高傑作は、デビュー戦といえる稲葉山城乗っ取りである。
永禄7年(1564年)2月6日、白昼のことだった。竹中半兵衛は舅・安藤守就の軍勢とともに主君・斎藤龍興の居城・稲葉山城を急襲。側近6名を討ち取り、龍興を城外へ逃亡させた。半兵衛、当時20代。兵力は驚くほどわずかだ。それでも城は落ちた。これは当時の斎藤氏がいかに混乱を極めていたかを示す事件となっている。
このまま、独立するなり、信長に下るなり自分が功成り名を遂げる選択はあっただろう。しかし、半兵衛はそうはしなかった。約半年間城を占領した後に、龍興に返還したのである。正確には兵を取りまとめて戻ってきた龍興と戦った後に、城を退去したようである。
ともあれ、半兵衛はせっかく城を乗っ取ったのに、激しく抵抗することはしなかった。つまりは、本気で城を乗っ取り旗揚げする気はなかったのである。
これは現代のコンサルにおけるPoC(概念実証)案件そのものだ。
一流のコンサルは、最初から大型契約を取りに行かない。いきなり「では年間顧問契約を」とは言わない。まず小さく、劇的に、記憶に残る形で「自分の能力の上限」を見せる。それだけでいい。
重要なのは、その後だ。結果を出したら、深追いしない。関与を長引かせない。さっさと引き上げる。なぜか。滞在が長くなれば、失敗にも連座するからだ。
そうこうするうちに、最初の鮮烈な印象が薄れ、「いて当たり前」の存在になってしまう。

