“雨後のタケノコ”のように増えた宮家

その際に格好の手引きになるのが、前にも紹介した林真理子氏の短編小説集『皇后は闘うことにした』(文藝春秋)である。この小説集は5つの作品からなっており、戦前における皇族や華族の結婚がテーマになっている。

小説家というものは、人間のエゴがいかに醜いものであるかを容赦なく描き出していくが、この小説はその典型と言えるものである。

『皇后は闘うことにした』には、実は同じような記述がくり返し登場する。たとえば、「徳川慶喜家の嫁」という作品では、有栖川宮熾仁ありすがわのみやたるひと親王の姪である実枝子みえこが、徳川慶喜の嫡子、慶久よしひさと結婚することについて、熾仁親王が「雨後のタケノコのように出てきた宮家に嫁ぐよりはいいだろう」と皮肉を言う場面が出てくる。

小説では、それに続けて、「維新直前までは、宮家というのは有栖川宮家を入れてたった四つしかなかった。しかし明治政府は、僧侶となっていた皇族たちを還俗げんぞくさせた。彼らが町の女たちに次々と子どもを産ませ、今宮家は十一家になろうとしている」とつづられている。随分と、どぎつい表現だ。

旧宮家同士の「新興勢力」格差

興味深いのは、政府がそれにあわてて、嫡男以外の宮家継承を認めなくなり、養子も禁止したと述べられていることである。

旧宮家が増えたことが、旧皇室典範で“養子が禁じられた”理由だというわけである。今の養子案を考えると、これこそ皮肉な話である。

現在の議論では、旧宮家という形で11の家が一括して取り上げられる。だが、旧宮家の間には歴史の違いがあり、古くからの宮家は、明治以降に誕生した新しい宮家について「新興勢力」として、自分たちの仲間とは見なしていなかったのだ。

タイトルにもなった「皇后は闘うことにした」という作品でも、「伏見宮は、最も古い四つの宮家の一つである。維新に伴い、次々と出来た宮家とは違う」という箇所が出てくる。こうした箇所は、5つの短編のうち4つの作品に出ている。

林氏はよほどこの点を強調したかったのであろう。高市首相は、自分の言いたいことを強調するために、5回同じフレーズをくり返し、それが流行語大賞にもなった。高市首相には、是非この小説を読んでもらい、林氏の意図を十分に汲んでほしい。読めば、養子案の実現がいかに困難な問題かが、たちどころにわかるはずだ。

では、その困難さはどこから来るのだろうか。

自民党・高市早苗総理(2025年10月)
自民党・高市早苗総理(2025年10月)(写真=首相官邸/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons