孤独なおじさんに欠けているもの
中年男性の性的孤立や社会的孤立の背景には、「語彙の貧困」がある。語彙を獲得しなければ、自分の気持ちを自分で理解することはできないし、自分の気持ちを他人に伝えることもできない。語彙を獲得し、自分の気持ちを言語化できるようになれば、自分の気持ちを自覚し、他者に伝えることができる。
語彙の獲得は、生きていくうえで良いことづくしのように思えるが、なぜ男性は語彙の獲得を拒むのだろうか。
その答えは様々だが、一つの大きな理由としては、「あえて語彙を獲得しない」ということが、一つの防御策であり、生きる知恵になっているからだ。現在の自分の気持ちや置かれている立場を言語化してしまったら、それによって具現化された感情や事実によってメンタルや自尊心が押しつぶされてしまうリスクがある。
自分の気持ちを他人に伝える手段を持ってしまったら、「伝えたい」という切望、「伝えなくてはいけない」という焦り、「伝わらない」という悲しみ、「伝えられない自分はダメな人間だ」という劣等感など、様々なノイズが発生する。それらに苛まれ、苦しむくらいならば、最初から語彙なんていらない。そう考えている男性は少なくないのではないだろうか。
「言葉にしたら生きていけない」切ない理由
近年、政治的な正しさや多様性の名の下、あらゆる感情や行為を言語化してきたリベラルに対する風当たりが強くなっているのも、言葉の世界に耐えられない人たち、言葉にしたくない人たち、言葉にする余裕がない人たちが増えていることの証拠なのではないだろうか。
中年男性の言動を批判するうえで最も頻繁に使われる言葉は「無自覚」である。無自覚は、単に知識やモラルの不足によって起こるのではない。自覚することに耐えられないほど辛い現実に囲まれていることによって生じる、ある種の防衛機能でもある。
男性の無自覚を指摘・糾弾し、「自覚」を促すリベラルやフェミニズムへの風当たりが強くなっているのは、結局、それらが言語化に伴う自覚に耐えられる程度の生ぬるい環境で生きている「強者の思想」に映るから、なのかもしれない。中年男性の性的孤立や社会的孤立の背景に「語彙の貧困」があることは間違いない。
しかし、だからといって「正しい語彙を身につけよう」と啓蒙するだけでは、おそらく効果はないだろう。彼らが語彙を身につけたくない理由や背景に対する手当を行わずに、一方的に「語彙の貧困」を指摘・糾弾することは、端的に暴力である。
「男性はなぜ無自覚なのか」という責めの問いではなく、「自覚を妨げている辛い環境を、どうすれば改善できるのか」という問いこそが、中年男性の性的孤立や社会的孤立の解消に役立つはずだ。



