「間違った正義感」は現代社会のキーワード

不正を主導した巡査部長が発したという「間違った正義感」という言葉は、現代社会を象徴するキーワードであると思う。実際、本事件を報じた記事の見出しにもこの言葉が躍っていた。

最近、外国人やジェンダー、政治に関するヘイトスピーチや、学校でのいじめや暴行に対する個人情報の特定、さらし行為、誹謗中傷行為が問題になっているが、これも「間違った正義感」の表出と言える。

今年の1月、トランプ米大統領がベネズエラへの攻撃に際して「私には国際法は必要ない」「私を止められるのは私自身の道徳だけだ。私の心だ」とニューヨークタイムズの取材で述べている。

「正しいことを行っているのだから、法律に従う必要はない」という発想は、トランプ大統領に限らず、現在社会全体に広まりつつあるように思える。

学校でのいじめ、暴行問題にしても、SNS上では「学校や警察が対応してくれないから、ネットに晒すしかない」という、ネットリンチを推奨、容認するような声が蔓延している状況だ。

逆光を受けている正義の女神の像
写真=iStock.com/busra İspir
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無実の人を処罰する「末期的症状」

神奈川県警の不正取り締まり問題に話を戻そう。警察は国家権力を後ろ盾にした公的機関であることは言うまでもない。そんな誰よりも法に基づいて職務を遂行すべき警察機関の職員が「正義感」の名のもとに違法行為を行っていたのは、由々しき問題だ。大げさかもしれないが、末期的症状にあると言って良いのではないかと思う。

社会が揺れ動く中で法律やルールに対する信頼感が揺らいでいるが、そこを踏み外してしまうと、無実の人が処罰されたり、問題を起こした人が必要以上に断罪されてしまったりすることにつながりかねない。

日本の警察は諸外国と比べると腐敗が少ないほうだ。新興国に行くと、警察官が犯罪組織と結託していることもあるし、市民に賄賂を求めてくることもある。一昔前の東南アジア諸国のガイドブックには「現地の警察官は信用しないように」という注意書きが記されていたほどだ。

先進国のアメリカでも、無実の人を警察官が射殺するといったことは普通に起きている。最近では、移民税関捜査局(ICE)が移民を殺害する事件も起こっている。

もちろん、国によって実態はさまざまだが、日本の警察は、海外と比べてもまだ健全と言えるのではないかと思う。しかしながら、今回のようなことが起きてしまうと、警察、さらには公的機関に対する信頼性が大きく揺らいでしまうのではないだろうか。

偶然ながら、山形県内の消防職員が狂言強盗で逮捕されるという事件も同時期に起きている。公的組織の信頼性が揺らいでしまうことは、日本社会の秩序という点から見ても好ましいことではない。