“一夜”伝説を可能にした運材技術
もう1つ、美濃の水運について重要なことに触れたい。
美濃・尾張にまたがる濃尾平野を流れる木曽川・長良川・揖斐川の3つは、総称して「木曽三川」という。この中でも、木曽川の運材は江戸時代以前から盛んだった。
斎藤道三が美濃を手中にしていた16世紀半ば、すでに木曽川上流の兼山(岐阜県可児市)に物資運搬用の川湊(港湾拠点)が整備されていた。また永禄11(1568)年、信長が足利義昭を奉じて京へ上洛した際には、山中から切り出した京都御所修築用の木材が、兼山を中継して運ばれたという(可児市HP)。
道三や信長の頃に、どのような木材運搬方法があったか、具体例はわからない。だが、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いから同20(1615)年、いわゆる「慶長の築城ラッシュ」の時期、城の建設に必要な木材の運搬に、木曽三川を使った特殊な技術が発達していたことはわかっている。
この方法を「木曽式運材法」といった。
特徴は、山中で伐採した木材を渓流まで運び、次に川に1本ずつ流し、下流に頑丈な綱を張ってせき留める。その後、木材で筏を組み、さらに下流へ向かう。下流に行くにつれ複数の筏を連結する。
どこかで聞いたような話だ。
そう、墨俣一夜城を築くにあたって、切り出した竹や木材をあらかじめ組み立てておき、川に流して墨俣まで流す――一夜城の伝説の手法と似ているのだ。
この運材法が信長の時代にあったとは断言できない。しかし信長の頃は未完成でも慶長年間には発案され、それを秀吉のアイデアとして『武功夜話』『絵本太閤記』の著者が転用したと見るのが、自然ではないだろうか。
“木曽式”が築城ラッシュに寄与
史学者で織豊期研究会会長の藤田達生は『武功夜話』を指して、たとえ偽書であっても作成の背景や意図を知れば、偽文書として切り捨てる時代ではないと説いており、筆者はその考えに同調する。歴史の「創作」「偽書」も、元ネタがあればまったく架空とはいえないと思うのだ。
木曽式運材法によって運ばれた木材の終着地は、伊勢湾の桑名や尾張の熱田で、巨大な貯木場があり、藩の管理下にあった。同藩は江戸時代を通じ木曽・美濃・尾張に及ぶ広域の経済圏を形成し、これが藩財政に寄与した。
また、桑名・熱田に到着した檜・欅・杉・松などの資材は、江戸城・駿府城・名古屋城の用材として活用されたという。木曽式運材法が築城や近世城郭の興隆に果たした役割は決して小さくない。
墨俣一夜城の伝説は、そうした城の建設のスピンオフといって良い。そのように捉えると、この伝説がとても味わい深く思えてこないだろうか。
参考文献
・滝喜義『武功夜話のすべて』(新人物往来社、1992年)
・原田実『偽書が揺るがせた日本史』(山川出版社、2020年)
・藤本正行、鈴木眞哉『偽書「武功夜話」の研究』(洋泉社、2002年)
・谷口克広『歴史に学ぶ信長・秀吉と家臣たち』(NHK出版、 2000年)
・安田清人『時代劇の「嘘」と「演出」』(洋泉社、2017年)
・藤田達生『秀吉神話をくつがえす』(講談社、2007年)
・松田之利編『街道の日本史(29) 名古屋・岐阜と中山道』(吉川弘文館、2004年)



