「生きている人、みんなが自分の『いのちのクルマ』を運転しています。ドライバーは自分自身。助手席には家内が座っています。分岐点が次々と目の前に現れ、右に行くのか、左に行くのか、自分で判断します。そこで『先生、お任せします』といったら、ハンドルから手を離したのと同じなのです」
病室の窓から外を覗くと、道を歩いている人の姿が見えた。その向こう側には電車が走っていた。そして、樋口さんは意を決してハンドルを切った。
「家内と一緒に歩き、一緒にご飯を食べる。電車に乗って仕事に行く。そんなごく普通のことが、どれだけ嬉しくて、ありがたいことか。ハンドルを切る、つまり治療の選択とは生き方の選択そのものです。普通の生活を取り戻すため、治癒を目指すことにしました」
抗がん剤治療は1カ月サイクルで行われる。実際に点滴が行われるのは最初の1週間だけで、残りの3週間は副作用との戦いになる。つらいのは抗がん剤を入れる1週間と、その後の1週間だ。強い吐き気と嘔吐に襲われる。2回目以降は昼夜を問わず、30分おきに嘔吐した。制吐剤も効かず、夜も眠れない。
最後の3回目の治療を前にして、樋口さんの体はすでにぼろぼろの状態だった。「これ以上続けたら、生命の保証はありません」と釘を刺された。しかし、逃げ出す気にはならなかった。
「やろうかと思うんだ」
「そうね、その道、行こうよ」
もちろん加代子さんは樋口さんの体の状態を知っていた。「すごく心配でした。でも苦しみは本人にしかわかりません。その本人が『やろう』というのですから、納得しました」と加代子さんは話す。樋口さんのいのちのクルマは、治癒に向けて再び走り始めた。
(南雲一男=撮影)