伊木山に登ると分かる信長の軍略

特筆すべきは城内からの眺望だ。

城域の東端には、「キューピーの鼻展望台」という突出部がある。ここに立てば、信長がなぜ、伊木山に陣を敷いたのかがよくわかる。

眼下に木曽川の流れをはさんで、犬山城が丸見えだ。しかも、標高差があるので上から見下ろす格好になっている。これなら犬山城内の動きが、手に取るようにわかったのではないだろうか。城攻めのための陣を敷くに、実に理想的な立地だといえる。

伊木山の山頂
撮影=今泉慎一(風来堂)
伊木山の山頂
山頂からは信長の居城・小牧山城も見える
撮影=今泉慎一(風来堂)
山頂からは信長の居城・小牧山城も見える
右手に犬山城。奥の橋の左たもとに鵜沼城
撮影=今泉慎一(風来堂)
右手に犬山城。奥の橋の左たもとに鵜沼城

以上は戦術的な視点からの分析だが、もう少し視野を広げて戦略的に考えてみると、信長が鵜沼城、伊木山城を先に押さえた意図が見えてくる。犬山城は尾張に属するが、信長と対立している犬山城主の信清は、美濃の斎藤家の支援が必須。ならば、稲葉山城ほか斎藤家の諸城と連携を断ち切るために、あえて敵国・美濃側へと乗り込んで、二城を押さえてしまえばよい。

信長がそう考えたのであれば、(あくまでドラマ内での話だが)秀吉が体を張って鵜沼城を調略しようとしたのもうなずける。そして、1565(永禄8)年、信長の思惑どおり犬山城は落ち、信清は甲斐の武田家を頼って落ち延びて行った。信長は尾張一国を統一し、美濃攻めを本格化させる。天下統一へと大きな一歩を踏み出す戦いが、ここで起こったのだ。

【図表5】犬山城のプロフィール
イラスト=UMI
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