単館上映が全国50館以上に拡大
昨年12月に東京・品川の単館上映で始まったものの、次々に上映館が増え、2月以降も新たに25館以上で公開される予定の伊藤詩織監督の映画『Black Box Diaries』。今や累計で全国60館近くまでに上映が拡大している。
この作品は2015年に性暴力被害を受けた後、伊藤氏が裁判や捜査への関わりを含めてどんな日々を送っていたか、本人目線で描いている。惜しくも受賞を逃したが、映画は昨年、米国アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされた。その一方で、「許諾のない音声や映像を使っている」という批判を伊藤氏の元代理人弁護士から受け、日本公開は延期されていた。性暴力被害者であることと監督であることは本来別次元のことだが、それらを切り分けて考えるのが難しい映画であることもあって、賛否両論が巻き起こってきた。
これまでの映画評はジャーナリズムやドキュメンタリーとしての観点からのものが多く、私も約1年前、その切り口で記事を書いた。しかし今回、日本向けの修正版を公開するに当たり、伊藤氏は性暴力のサバイバーとしての視点から描いたことを、強く打ち出している。「編集当初は、ジャーナリストの視点から『自分だけの主観で語っていいのか』と何度も躊躇」したが、「『当事者として、サバイバーとして、自分は何を語ることができるのか』という問い」が大きくなっていった、と監督ステートメントで語っている。
【参考記事】「アカデミー賞受賞なるか…伊藤詩織氏の映画『Black Box Diaries』協力者を無断でさらす隠し録画・録音の是非」
性暴力サバイバーとしての発信
『Black Box Diaries』を、ジャーナリズムやドキュメンタリーの観点から見るべきなのか、それとも性暴力サバイバーの作った映画と見るべきなのか。この問題は簡単に決着がつかないだろう。ただ、だからといって、この映画が提起する多面的な問題を論じないのはどうだろうか。日本公開版では、代理人弁護士が指摘した箇所は一部修正されたが、あまり変わっていない箇所もある。一方で、サバイバーとしての伊藤氏の側面に注目して見ていくなら、確かに、この映画が「約450時間にわたって、自分のトラウマが記録された映像」(監督ステートメント)の集約であることが、明確に伝わってくる。
性暴力サバイバーが作った映画として見た場合、私が気になるのは、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しむ伊藤氏の様子を生々しく描いているということではない。むしろ、PTSDに苦しみながら、伊藤氏が捜査や裁判に臨み映画を作っていたことを、気にする人が少ないことだ。たとえば、もしPTSDから回復できていたら、伊藤氏が家族に向けて遺書のようなメッセージを録画するシーンはなかったのではないか。しかしこの点は素通りされている。そこから浮かび上がってくるのは、伊藤氏のようにPTSDを抱えながら暮らしている性暴力サバイバーがたくさんいるのに、その深刻さに気づく人があまりいないということでもある。

