1世帯あたり約33円でも「十分ではなかった」
つまり、八雲の月給100円を3世帯で割ると、1世帯あたり約33円である。
小泉八雲研究者の広瀬朝光の『小泉八雲論 研究と資料』(笠間書院、1976年)には、こう記されている。
ヘルンの給与月額百円は当時としては高級であり、米一升三銭、尋常中学校木村牧氏は月俸70円、西田千太郎氏は月俸45円くらいであり、月給35円ぐらい取ると妾宅を置いたものであったという。
つまり、月に35円も稼いでいれば妾を養えるくらいに裕福な生活を送ることができる。ならば、各世帯に平等に分けて約33円なら、十分じゃないかと思うだろう。これが十分ではないのだ。
ここで参考にしたいのが、夏目漱石の随筆『文士の生活』だ。これは、年俸1500円(月給125円)に印税も稼いでいた漱石が、金がないとかひたすらボヤいている文章である。漱石は冒頭からこう書く。
私が巨万の富を蓄えたとか、立派な家を建てたとか、土地家屋を売買して金を儲けて居るとか、種々な噂が世間にあるようだが、皆嘘だ。
作家は「外へ出かけて見聞を広める」必要がある
そして、住んでいる家についてこう続ける。
此家は七間ばかりあるが、私は二間使って居るし、子供が六人もあるから狭い。家賃は三十五円である。
月給125円で家賃35円。つまり収入の約3分の1が家賃に消える。さらに漱石はこう嘆く。
書画だけには多少の自信はある。敢て造詣が深いというのでは無いが、いい書画を見た時許りは、自然と頭が下るような心持がする。(中略)骨董も好きであるが所謂骨董いじりではない。第一金が許さぬ。
月給125円に印税収入もある漱石でさえ、「金が許さぬ」のだ。
結局、漱石が求めるのは「明窓浄机。閑適を愛する」ことだけ。つまり、明るく静かな書斎で執筆に打ち込むこと。それ以外の贅沢は諦めている。どういうことかといえば、文章を書いて糧を得ているのだから、食うだけで十分、では足りない。様々なところに出かけて見聞を広めたり、人と議論して思想を深めなければならない。
それらが、作品となり印税が入るまでにはタイムラグがある。いや、そもそも、わざわざ出かけて取材したけど1円にもならないもののほうが多い。そこにめちゃくちゃ金がかかるのだ。

