兵を動かさず、選択肢を管理する
ここで起きている変化は、監視社会という単純な言葉では捉えきれない。問題は「見られている」ことではなく、意思決定の自由度が静かに削られていくことにある。データを握る側は、相手がどの選択を取りやすく、どの選択を恐れるかを知っている。外交交渉、国際会議、投票行動、発言のトーン。そのすべてが、無意識のうちに「相手の反応」を織り込んだものになっていく。
中国製の社会OSを導入した国家では、現地政府よりも中国の方が、その社会の実像を深く理解している可能性がある。経済がどこで詰まり、どこに不満が溜まり、どのタイミングで抗議が起きやすいか。これは軍事力では得られない情報であり、同時に、最も効果的な圧力を「使わずに」済ませるための基盤でもある。
重要なのは、中国がこの段階に至ると、力を行使する必要がなくなる点だ。電力を止める必要も、通信を遮断する必要も、決済を凍結する必要もない。「切れる」という事実そのものが、恒常的な抑止として機能する。相手は常に、最悪の事態を想定しながら行動するようになる。孫子が言う「先知」とは、まさにこの状態を指している。相手が動く前に、相手の動きを織り込んでおくこと。戦争は起きない。だが、結果は決まっている。
用間篇の恐ろしさは、ここにある。戦争を起こさず、敵意を顕在化させず、反発を生まずに、相手の行動範囲を狭めていく。これは、兵を動かす戦争ではなく、選択肢を管理する戦争である。相手が「自由に選んでいる」と感じている間に、実際には選べる範囲が限定されている。この段階に至ると、覇権はすでに確立している。
孫子の兵法は、ここで終わる。なぜなら、これ以上先に進めば、それは兵法ではなく、統治と倫理の問題になるからだ。用間篇は、「どう勝つか」を示す最後の章であり、「勝った後にどう振る舞うか」については沈黙している。この沈黙こそが、現代中国戦略を考える上で、次の問いを突きつける。
すなわち、ここまで完成度の高い「戦わない戦争」は、果たして永続するのか。人々が、自分たちの生活が設計され、選択肢が管理されていることに気づいたとき、何が起きるのか。この問いは、孫子の兵法の外側にある。だが、まさにそこに、21世紀の覇権争いの次の局面が待っている。

