政治が「推し活化」したアメリカの末路

アメリカの若者を分析するタフト大学やイエール大学などの調査機関は、次のように指摘している。

若者の政治意識は、もはや「理想主義」ではない。
生活が成り立たない、将来の見通しが立たない、
社会が自分たちに不利に設計されているように見える。
こうした感情こそが、政治への関心を形づくっている。

この不満は、決して若者だけのものではない。住宅、医療、インフレに直面する中高年層とも、大きく重なっている。

では、こうした不安や不満が「推し活」と結びついたとき、何が起きるのか。

政治に目を向ける人は確かに増える。しかしその一方で、「正しいかどうか」より、「誰を応援するか」が先に決まってしまう。

アメリカは、すでにこの段階を通過している。民主主義の危機や国際秩序の揺らぎについて、どれだけ警鐘が鳴らされても、支持者にとっては「それでも生活は変わらなかった」という経験が積み重なる。その結果、警告そのものへの信頼が失われ、誤りを正すための言葉は力を持たなくなった。

批判は、軌道修正のためのブレーキではなく、支持を固めるための燃料へと反転した。アメリカでは、感情的な政治が強くなったというより、それを止める仕組みが、いつの間にか使えなくなってしまっていた。

アメリカと同じ道を日本も歩んでいる

アメリカから見ると、日本もまた同じ道を、しかもより短い時間で進んでいるように映る。というのも、日本社会には、アメリカとは異なる特性がある。

「語らない」「空気を読む」ことが美徳とされ、「語らなくても伝わる」「争いを避ける」態度が、長いあいだ政治的な安定を支えてきた。

しかしそれは同時に、語るべきことが、語られないまま蓄積されてきた歴史でもある。

その抑圧が限界に達したとき、言葉は議論としてではなく、感情として噴き出す。

感情政治の最も危険な点は、「正しいか、間違っているか」を問う前に、「好きか、嫌いか」で物事を判断するようになってしまうことにある。そして一度その段階に入ると、選挙結果がどうであれ、政治は元の場所には戻りにくくなる。

それがどこへ向かうのかは、アメリカ人自身にも、まだはっきりとは見えていない。

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