経済不安が感情に変換されている
この構図は、2024年のアメリカ大統領選で起きた現象と、驚くほどよく似ている。
当時、圧倒的にリベラルと見られていた若者層のうち、特に若い白人男性の6割以上がトランプ氏に投票し、当選の追い風となった。
彼らが口にしていた理由は単純だった。
「今の経済はひどすぎる」「トランプなら良くしてくれる」「彼以外を選ぶと、もっと悪くなる」
一方、民主党のカマラ・ハリス候補が前面に掲げていたのは、中絶の権利、トランスジェンダーの保護、民主主義の擁護といった、理念的で社会的なテーマだった。
経済的に追い込まれた若者たちは、理念よりも実利を選んだ。日本の若者も、同じ文脈で理解できる。それは右傾化ではなく、経済不安が感情に変換されていく過程だ。
いったん感情で結ばれた政治は、うまくいかなかったとしても、「間違いだった」と認めること自体が難しくなり、あとから修正する余地を失っていく。
メディアの警告が「オオカミ少年」のように響かなくなった
感情政治が最も危険になるのは、間違いを正す仕組みが、うまく働かなくなったときだ。
アジア・パシフィック・ジャーナルは、1月18日付の分析記事で、こうした状態を「制度への信頼の危機」と呼び、民主主義が自己修正できなくなる段階への警告を発している。
若者が現実の問題と感情を煽るために強調された怒りとを区別しにくくなるのは、情報が増えたからではない。警告そのものが、もはや信用されなくなったからだ。
政治家が強い発言をするたびに、メディアはその危険性を指摘する。だが、その回数が増えるほど、警告は次第にノイズ化し、受け手はある時から、それを「またか」と一括処理するようになる。その結果、「本当に危険な兆候」も、他のニュースと同じ音量で消費されてしまう。
日本でも、伝統的なメディアは、高市首相の台湾有事や為替をめぐる強い発言が、市場や外交に与える影響を繰り返し報じてきた。しかし、国際社会では問題視される報道が、国内世論において必ずしも支持の低下につながっていない点を、海外メディアは淡々と指摘している。
外では摩擦でも、内側ではそれが「強さ」や「わかりやすさ」として消費される。この構図が続く限り、警告は届きにくくなる。
そして今、伝統メディアの発する「正当な警鐘」は、若者だけでなく大人にとっても、「正しいかどうか」ではなく、「好きか嫌いか」で受け取られる段階に入りつつある。
