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まず特区を利用して「研修費」を計上できる制度実験を
この言葉があれほど反響を呼んだのは、「働く」ことが、今の日本社会で極端に扱いづらいテーマになってしまっているからです。少しでも強く「働け」と言えば、すぐにパワハラだ、昭和ブラックだと叩かれる。企業では「ワーク・ライフ・バランス」を重視するあまり、経営者や中間管理職は若手に遠慮しすぎて強く言えない。一方、当の若者自身も「スキルが身につかない」と悩んでいる。
そろそろ「働くvs.働かない」の不毛な二項対立から抜け出し、現実的な議論に進むべきステージに来ているのではないでしょうか。
僕自身は「働き方改革」には大賛成。過重労働や残業代未払いは論外だし、被雇用者の健康と生活を守るのは社会の責務です。
ただ、これまでの働き方改革の議論は、「労働時間の短縮」自体が目的化してしまったきらいもある。「就業時間以外はPCの電源を落とす」「残業も時間外の研修受講も原則禁止」。そこまでクリーンな職場を目指して、日本人は本当に豊かに幸せになったでしょうか。業績も賃金も伸び悩み、経済全体が停滞しているのが現実です。
デフレ時代であれば、じっと耐え、コストを抑える戦略も成立しました。しかしインフレ時代は違います。「高付加価値」を生み出せない個人や組織、ひいては国家そのものが、海外企業やAIに容赦なく淘汰されていく時代。僕らに求められているのは、単なる時短労働ではなく、非効率を排しながら、個人と組織が付加価値を効率よく生み出す「働き方の再設計」のはず。
そこで冒頭の高市首相の発言に戻ってみると、そもそもの前提整理ができていない人が多すぎる。「働いて働いて」発言に過剰反応するのは、「おまえが働け!」と命じられていると、錯覚してしまっているから。でも、そもそも「自ら働く人」と「働かされる人」は、まったく別物ですからね。
「自ら働く人」とは、企業経営者や自営業者、政治家など。首相などはいわば国家の経営者。そりゃ働いて、働いて、働いてもらわないと困ります。首相が「一日8時間労働!」を主張してホワイトな働き方をした結果、国家経済が低迷したり、“時間外”に有事が起きたりしたらどうするんですか!
他方、「働かされる人」とは、会社員などの被雇用者のこと。彼ら「被雇用者」は、労働法制によって守られるべき存在です。健康を害するほどの長時間労働はダメだし、有給や育休、産休などがきちんと取得できるよう社会が目を光らせる必要もある。
でも、経営者や自営業者、政治家はその限りではありません。そういう人たちは、24時間、結果と責任を引き受ける立場にあり、その働き方に関しては、昭和も令和もないと思うんです。全責任を負う分、自分で時間をつくることもできる。
ちなみに僕も経営者なので、働いて、働いて、働き続けないと生活できません(笑)。事務所の皆にお給料も払えない。それは政治家でも同じです。
だから男性の政治家や経営者が殊更に「育休取得」をアピールする姿には違和感があります。職員や社員に手本を示したい意図はわかりますが、いつでも自分の責任で時間をつくり出すことができるのですから、育児のために普通に休めばいい。
そうではなく、政治家や経営者とは違って、好きなときに休むというわけにはいかない被雇用者の立場にある部下たちが安心して休めるように、規則や人員配置などの環境を整えることが、リーダーの役割だと思います。
有名レストランが閉店するウラ事情
さて、本題はここからです。前述の通り僕は働き方改革には賛成の立場ですが、弊害もあると思っています。最たるものが「技術と人が育たなくなっている」という現実です。
世の中にはDXやAI活用で代替できない仕事も多く存在します。料理人や美容師、大工といった職人仕事です。こうした仕事に共通するのは、現場経験や長期的な研修が不可欠だという点です。かつて日本が「技術大国」と賞賛されたのは、現場を通じた「人材育成」と「技術継承」が、社会全体で機能していたからです。本来、一朝一夕にはいかないこうした技術継承や人材育成に、先人たちは多くの時間やコストをかけて励み、また若者も必死で学んできたからです。
もちろんかつてのような不合理な「修業」は不要であり、教育プログラムを磨くことで効率のいい技術継承や人材育成を実現することは可能でしょう。ただ、それでも本人の「訓練」は必要不可欠なのです。
ところが今、それらが十把一絡げに「ブラックな働き方」と断じられてしまっている。「タイパ・コスパ重視のホワイトな働き方」こそが正義という価値観に押し流され、結果、技術継承や人材育成のための「訓練」が必要な場でも、すべての場面で「給料を払え」となっているのです。しかし、そこまで余裕のある事業主ばかりではなく、むしろ技術の継承が必要な職場こそ零細企業が多いのが現実です。
そのため、事業主は時間や費用をかけて若手育成をすること自体を「リスク」と判断し、技術継承を放棄してどんどん事業規模を縮小していく。若手も粉骨砕身して技術取得に励むより、そこそこの力でワーク・ライフ・バランスを優先するようになりました。
でも、それは果たして本当に「自分のため」「社会のため」になっているのでしょうか。本当に、若手は企業に「与える」ばかりで、企業からは何も「与えられていない」のでしょうか。実はそこに技術力や交渉力、マネジメント力や調整力など、多くの学びと成長があるはずなのに、それを逸してしまってはいないでしょうか。
今、僕の周りでも、著名な料理人がそれなりの規模のレストランを閉めて小さな所帯の個人店経営にシフトする事例が増えています。理由の一つは後進育成がしにくいからです。
愛情込めて弟子を育てても、「ブラック職場」として叩かれるなら、一人で技を磨き披露したほうがいい。こうした経営判断は一見合理的ですが、実は若手にとっても、社会全体にとっても大きな損失です。「働く」とは単に労務を提供することか、将来への学び投資を含むのか。ここを整理することが、政治の役割だと思います。カギは「研修費の透明化」と、「特区を利用した制度実験」です。
例えば「月給40万円のうち、10万円は『研修費』として天引きする」、あるいは「職場に9時間いるうち7時間を勤務時間とし、2時間は『研修』とする」など、これまで暗黙の了解でブラックボックス化してきた「将来への学び投資」を可視化し、経営者・被雇用者ともに納得、合意のうえで「訓練の時間」を設定するのです。
そして、このような新しい働き方を一定の地域で試みる。全国的に一気に実行することは無理でも、特区制度を設定して、地域別・職業別に多様な働き方を試みることができるはずです。
「働き方」に昭和も令和もありません。仕事を通じて成長し、社会に貢献する喜びはいつの時代も同じです。僕らが今すべきことは、「働く中で成長する」ことを、社会がしっかり支える制度の再設計なのではないでしょうか。



