常識を疑うことで代替案を議論できる

そのためにも重要なのが「質のいい非常識さ」を持つことだと思うのです。非常識といっても、常識を無視するという意味ではありません。むしろ現在の仕事について考える際、いま当たり前とみんなが考えている「常識」を謙虚に理解する姿勢が、「質のいい非常識」の源泉となります。

「どうしてみんながこのように活動しているのか」

「そもそもこの常識はなぜ生まれ、いつから通用しているのか」

その原点を深く理解すれば、「これって古くない?」「うちの会社にとって本当にベストなやり方なの?」とこれまで自明に見えていた常識を疑うことができる。そして疑うことができれば、初めて冷静に代替案を議論できるようにもなります。これは物事を常に根本的に考え、そこから議論を深められる能力とも言いかえられるかもしれません。

近年、わが社は米国や中国でも事業を展開しつつあります。グローバルに展開し始めたことで、前述のような資質を持つ人材が、これまで以上に重要になっています。そこで痛感するのは、仕事に対する打たれ強さが、結局は物事を前に進める最大の原動力になるということです。

文化や商習慣が日本とは異なる人々と付き合うようになると、大小様々な誤解や問題が生じてきます。

例えばDeNAの社内で「β版」(正式版をリリースする前のサンプル)といえば、ユーザーさんが使える状態のほぼ完成版を指します。ところが、海外のパートナーに「β版」の制作を依頼したところ、締め切りの日になってまったく想定していなかった未完成の製品が提示されてきました。言葉の些細な定義の誤解から、そのような問題が生じることが日常的にあるのです。

予期せぬ壁が唐突に立ちはだかったとき、ダメージを受けて「もうだめだ」と力が抜けてしまう人と、逆に「この問題を解決して次につなげよう」と闘志が湧いてくる人がいます。当然後者の人材が優れているわけですが、そんなふうに闘志を燃やせる人の共通点は、ネガティブな状況が生じた際に「ひと」ではなく「こと」に向き合う姿勢にあると思います。