「おもてなし」の意は「うらおもてなし」

「あなたといると時間が優しく流れる」(コスプレイヤー=みるる、撮影=龍道)

先日、2020年のオリンピック、パラリンピックの開催地が東京に決まりました。これで、確実に海外から日本への来訪者が増えることでしょう。ちょうど開催地決定の直前に発表された、外国人旅行者数を2000万人と倍増させて観光立国を目指すという日本政府の「観光立国実現に向けたアクション・プログラム」も大きく弾みがつくことが期待されます。

開催地候補による最後のプレゼンテーションの中で使われた、「おもてなし」という言葉が話題になったことを記憶されている方は多いでしょう。「おもてなし」とは、単なる丁寧な接客ではなく、「うらおもてなし」のまごころを込めた対応のことです。結果として、客を満足させ、感動させることさえできます。しかし、私たちが身近に「おもてなし」を経験する機会はどれほどあるでしょうか。

1998年、8年間の米国生活から日本に戻ってきた私がコンビニに立ち寄ったときのことです。店員が私に目も合わせず、笑顔もないのです。確かにマニュアルどおりの掛け声は発しているのですが、なんとも心ここにあらずの接客態度に大いに驚きました。その接客態度を不快に思ったというよりも、いったい日本はどうなってしまったんだという不安感のほうが大きかったのです。

このコンビニの店員が特殊というわけではなく、あらゆるサービス業で、マニュアルどおりであろう丁寧な接客であっても「おもてなし」を感じられないことに気付きました。日常の中でも、他人に扉を開けてあげたり、道を譲ったりする場面も目にすることがなく、他人とぶつかっても一言の挨拶もない。日本人はいつの間に、こんなにも相手に対する想像力を失ってしまったのだろうとショックを受けていました。これらに共通するものは、相手に対して「無関心」であることです。相手は自分の世界とは異なる世界に居る「よそもの」。その「よそもの」が、なにを考え、どんな気持ちでいるのか、想像することを放棄しているのです。これでは、「おもてなし」のまごころどころか、「こころない」対応になってしまいます。

日本が「おもてなし」の精神を再び取り戻すにはどうすればよいのでしょうか。私はそのヒントを秋葉原で見つけました。