MZ-80Bの「声」を聴く
1976年、秋葉原のラジオ会館7階に日本電気(NEC)が日本初のマイコンショールーム「NEC BitINN東京」をオープンさせます。ここは後に日本のパソコン発祥の地として記念パネルも設置されることになるのですが、当時は、コンピュータプログラムを学ぶためのトレーニング・キット(1枚の基板に部品がむき出しの「ワンボードマイコン」と呼ばれた「TK-80」)を販売していました。これが大評判になり、一目見ようと多くの人が行列を作っていました。
ちょうどこのころ、1978年に登場したインベーダーゲームが大流行していました。ゲームを自分たちで組み立てて楽しみたい人たちが、ゲーム用に設計されたICチップを買い求めて秋葉原の電子部品の店舗に押しかけ、大勢の人でごった返していました。「ワンボードマイコン」も、自分で組み立てるキットであり、電子工作の知識が必要であったため、電子部品の店舗でも扱われるようになります。
ラジオ少年からアマチュア無線マニアになっていた父がマイコンと出会ったのも、ちょうど同じ1970年代後半でした。職場で導入されたマイコンの計算処理能力に感銘を受けた父は、マイコンの仕組みを学ぶため夜間の専門学校に通い始めます。早速「ワンボードマイコン」も入手し、プログラムの楽しさを体感しました。当時はまだBASICなどのプログラム用言語が普及しておらず、16進数で表現した複雑難解なマシン語でプログラムを作成していました。興味から沸き立つマニアの向学心は、ラジオ少年の時から健在でした。
「ワンボードマイコン」から程なく、ケースに入った完成品のパソコンが登場します。父も1981年にシャープ製の「MZ-80B」というパソコンを初めて入手。当時はまだハードディスクもフロッピーディスクもなく、市販のカセットテープを記録メディアとして使っていました。父がプログラムしたデータが入ったカセットテープを、私はこっそり持ち出してラジカセで音を出してみました。ガーガーと機械音が流れるので、これがコンピュータの声かと独りで感心していました。