「秋葉原人」、さてなんと読みますか

秋葉原にはたくさんの小さなコミュニティがあります。それは、さまざまな趣味文化を基本としたコミュニティです。大衆文化からマニアックなサブカルチャーまで、あらゆる趣味文化のコミュニティが、秋葉原にはごた混ぜに詰まっています。

そのさまざまなコミュニティのごた混ぜ状態をこよなく愛する人々が秋葉原にはいます。私は秋葉原で知り合った友人と一緒に、秋葉原のさまざまの趣味文化から、まったく関連性もないような2つのテーマを選び、参加者と語り合うイベント『アキハバラを、編む』を、ほぼ毎月、開催しています。そこには、どのようなテーマでも熱く語ってくれる常連が多数います。私は彼らを「秋葉原人」と呼んでいます。「混沌としたごた混ぜ感が秋葉原のアイデンティティだ」という共通認識を持っている彼らは「アキハバラ人」であり、特に用事や目的がなくても秋葉原に昔からいつもうろうろしているという意味で、「アキバ原人」なのです。かく言う私も「秋葉原人」だと思います。

それぞれの「秋葉原人」は、異なった趣味文化のコミュニティに属していますが、他のコミュニティの人々、あるいは、まだどこのコミュニティにも属していない秋葉原初心者に対しても、「無関心」ではなく、仲間意識を持ち、もてなそうとします。先の『アキハバラを、編む』でも、取り上げたテーマに馴染みがない参加者もいますが、そのような人に対しても、「秋葉原人」は積極的に分かりやすく情報や知識を提供しようとしてくれます。

この「秋葉原人」たちによる「おもてなし」は、秋葉原で出逢う他人を「よそもの」とせず、仲間として受け入れる「寛容さ」があるからこそできる行為だと私は考えます。そして、秋葉原で見られる「寛容さ」から生まれた「おもてなし」には、日本のある伝統文化に通じるものがあると私は考えています。それは、「茶の湯」です。

私は学生の頃、禅寺で茶の湯の修業をしていました。最初は細かい作法に堅苦しさも感じていましたが、ある日、茶会の亭主を任されたときのことです。掛け軸や茶花、懐石料理や菓子、茶道具の組み合わせなど、いかに客を楽しませるかを裏方のスタッフの皆さんと話し合い、客をもてなす準備をしました。茶会本番では、客にはベテランの大先生もいれば、初めて抹茶を飲む初心者もいます。大先生には風流な会話を心がけ、初心者にはリラックスしてもらうように話しかけます。それぞれ分け隔てることなく心配りをして、自分が点てる茶を楽しんでいただくように心がけました。そして茶会を終えた時、達成感と同時に不思議な爽快感を感じたのです。

これこそ、「おもてなし」だと気付きました。ただ一服の茶を振る舞うために、身分や立場にかかわらず、ひとりひとりを大切な客として受け入れ、細かい所作の上に心を込めて対応する。そして、そこから得られる爽快感。茶の湯が素晴らしい「おもてなし」文化だと体感できた瞬間でした。

出逢った人を「よそもの」とせず、分け隔てなく受け入れる「寛容さ」。そして心を尽くした対応。その一連の流れで感じられる心地よさ。日本が昔から伝えてきた茶の湯の「おもてなし」は、まさに秋葉原での「おもてなし」に共通するものがあります。

「おもてなし」精神の基本条件、それは「寛容さ」にあります。「無関心」は他人を「よそもの」として無視し、排除することですが、「寛容さ」とは意識して「よそもの」を受け入れることです。そうすることで、すでに「よそもの」ではなくなり、「無関心」ではいられなくなる。そこから「おもてなし」へとつながるのです。

今後、日本には文字通りの「よそもの」が外国から大勢訪れることになります。彼らを日本が誇れる「おもてなし」で迎えるためには、まずは身近な場面で、「無関心」を捨て「寛容さ」を心がけることから始めるとよいと思います。

次回は、日本が観光立国になるための具体策を、秋葉原の事例から提案したいと思います。

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