「秀長」ではなく「長秀」
秀長の前半生は不明なことばかりだが、大きな流れは「豊臣兄弟!」の展開とそれほどズレていないのではないだろうか。
秀長の名が同時代の史料にはじめて見えるのは天正元年(1573)8月で、「木下小一郎」と記され、「長秀」という花押が書かれている。「秀長」と名乗るのは、小牧・長久手合戦の最中の天正11年(1583)8月ごろで、それまでは「長秀」と記され、「長」は信長の偏諱(貴人の2字以上の名の1文字)を賜ったものと考えられている。
天文9年(1543)の生まれと思われ、同6年(1540)生まれの秀吉の3歳年下で、父は在村のまま織田大和守家(信長の父の信秀にとって主家筋)に仕えていたが、早期に引退して死去。兄弟が幼年だったので家が凋落したようだ。
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