皇室に嫁いだ人と皇室に生まれた人の違い

伝統重視の姿勢は、娘の彬子女王に確実に受け継がれている。母親の信子妃としては、皇室の外から来た人間であり、夫や娘のような考えを受け入れることが難しかったのではないだろうか。

もちろん、それがすべてではないにしても、皇室をどのように捉えるか、もともと皇室に生まれた人間と、そうでない人間とではどうしても考え方に違いが生まれる。その点では、崇仁親王は皇族として特殊だったのかもしれない。

愛子内親王が、こうした三笠宮家の問題をどのように捉えているかはわからない。当然、それについて発言することは、これからもないであろう。

同じ皇室に属しているとはいえ、愛子内親王と三笠宮家の人々との距離は遠い。信子妃とは6親等離れていて、彬子・瑶子女王になれば7親等も離れている。共通の祖先は大正天皇まで遡らなければならない。民法では、親族は6親等以内であり、7親等では親族にならない。

象徴としての天皇家に求められる調和

しかし、愛子内親王の存在、さらには国民の間に根強い「愛子天皇」待望論は、三笠宮家の確執に間接的ではあるが影を落としている。

愛子内親王殿下(2022年撮影)
愛子内親王殿下(2022年撮影)(写真=外務省/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons

あるいは、そうしたことがなかったとしたら、三笠宮家における夫婦や母と娘との間の確執も、幾分緩和されていたかもしれない。

そこには、現代において皇室を維持し、円滑に運営していくことの難しさが示されている。

私たちは、三笠宮家の問題を、たんに母と娘たちとの確執として捉えるのではなく、幅広い視野から、その根本にある要因を見極めていく必要がある。

幸い、今上天皇夫妻と愛子内親王との間に、何らかの対立があるという話は聞こえてこない。それに比較した場合、秋篠宮家では長女である小室眞子さん(眞子元内親王)の結婚問題でのごたごたがあり、国民としては理想の家庭とは捉えにくい。

国民は、象徴としての天皇家に家族関係のモデルを求める傾向もある。本年高まりを見せた「愛子天皇」待望論の背景には、そうした愛子内親王の育ちも深く関係しているはずなのである。

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