家斉の母はお富の方で、お富の父は岩本正利といった。岩本家は、8代将軍・吉宗によって幕臣に取り立てられた紀伊藩士だった。その縁でお富は10代将軍・家治の時代に大奥の女中を務めていたが、そこを一橋治済が見初めて側室とし、2人の間に生まれたのが豊千代、のちの家斉だ。

普通は大奥の外には出ることのない女中を治済が譲り受けたのは、徳川御三家・御三卿の当主・子息に限り、大奥に出入りするのを許されていたからだ。

豊千代にとっても大奥は母の“元職場”であり、顔馴染みもいたはずだ。歴史エッセイストの岡崎守恭氏は、「大奥は家斉の実家のようなものだった」と述べている。女性だらけの特殊な環境が及ぼした影響は小さくなかったろう。元服し家斉と名を改め、15歳で将軍に就任した直後から、女性乱脈の兆しを見せ始める。