「不毛な平野」を変貌させる一大事業

八田は台湾が日本統治時代の明治43年(1910)、台湾総督府内務局土木課に就職します。台湾南部には嘉南平野という広大な平野があるのですが、当時は夏季には日照りによる水不足に、雨季には洪水に悩まされており、農作物が取れない平野でした。

八田は嘉南平野を農作物が取れる平野に改善するため、当時では考えられないほどの巨大ダム建設を企画します。それが烏山頭ダム建設だったのです。八田は広大な嘉南平野すべてに水が行き渡るよう上司に提案しました。建設が予定された水路は1万6千キロメートル。

今までにない巨大な企画に、上司はなかなか首を縦に振ってくれませんでした。八田の情熱でなんとか上司から建設許可を得たものの、「建設費の半分は地域農民が負担」という条件付きでした。