「父親は秀吉ではない」落書きに大激怒
天正17年(1589)2月25日、京都の聚楽第(秀吉の邸宅)の表門に貼り付けられた落書きが見つかった。
ちょうど淀殿が秀吉の最初の子を妊娠した時期だ。落書きの内容ははっきりしないが、数種の歌が書き付けられていたようで、その内容は「淀殿の子の父親は秀吉ではない。多くの側室がいながらずっと子供に恵まれなかった秀吉に、急に子ができるなんて怪しい」といった類いのものだったようだ。
すると、この落書きに怒った秀吉は、事件の4日後、聚楽第の門番をしていた17人の武士の鼻と耳をそぎ落とした上で逆さ磔にしたのだ。全員拷問するつもりだったが、正妻・ねねの願いによって7人は拷問を免れたという。
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