「父親は秀吉ではない」落書きに大激怒

天正17年(1589)2月25日、京都の聚楽第(秀吉の邸宅)の表門に貼り付けられた落書きが見つかった。

ちょうど淀殿が秀吉の最初の子を妊娠した時期だ。落書きの内容ははっきりしないが、数種の歌が書き付けられていたようで、その内容は「淀殿の子の父親は秀吉ではない。多くの側室がいながらずっと子供に恵まれなかった秀吉に、急に子ができるなんて怪しい」といった類いのものだったようだ。

奈良県立美術館収蔵『傳 淀殿畫像』
奈良県立美術館収蔵『傳 淀殿畫像』(写真=奈良県立美術館/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

すると、この落書きに怒った秀吉は、事件の4日後、聚楽第の門番をしていた17人の武士の鼻と耳をそぎ落とした上で逆さはりつけにしたのだ。全員拷問するつもりだったが、正妻・ねねの願いによって7人は拷問を免れたという。