入社5年目。島田は上司に海外勤務を申し出た。熱意は通じ、辞令が下る。英語を学ぶため、2カ月間、語学学校に通った。「夜中の3時まで必死にやっても、宿題が終わらなかった」というほどの猛勉強をした。赴任直前、上司に卒業試験の結果を知らされた。
「『いままで海外に行った人間の中で、最低の成績だぞ』と言われました。でも、仕方がない。『最低の成績』のまま、ニューヨークへ行きました」
現地オフィスにいる日本人は日系一世の責任者と同年代の同僚だけ。最初に苦労したのは電話だった。
「アメリカ人は『否定形』をよく使います。『Don't you think so?』と言われたときに、イエスなのか、ノーなのか。咄嗟に出てこなかった。でも必死にやれば英語はどうにかなります」
言葉より価値観の違いが壁になった。現在、同社は米国で6割近いシェアをもつが、当時は16%足らず。市場をどうひっくり返すか。ライバルはアミノ酸を合成して作る「化学しょうゆ」で、味には自信があった。米国人は天然醸造の良さを知らないだけだ。島田は販売店に「This is better than other one(ほかよりもいい)」と繰り返し訴えた。ところが販売店にこう言われた。「ライバルはあんたの4倍も売れている。いいか悪いかは関係ない。お客はこっちが好きなんだから、そんなこと言われても困る。帰ってくれ」。
「相手の立場を考えられていなかった。それからは『Quality is different(品質が違う)』と、色や味、製法の具体的な違いを説明するようにしました」
その後、島田は23年間を米国で過ごし、しょうゆ事業だけでなく卸事業にも携わった。キッコーマンの北米の売上高はいまや1000億円規模になっている。さらに2001年から12年までは欧州の販売会社の社長としてドイツを拠点に欧州市場を担当。その間、欧州市場は毎年10%以上の成長を続け、北米に次ぐ「ドル箱」となっている。去年、米国に戻り、海外勤務は35年目に。島田は「『いつ帰るか』を考えたことはなかった」と言う。
「1度も、『ずっと海外をやらせてください』と言ったことはないんです。上司には『いつでもどこでも参ります』とだけ伝えてきました。欧州に行ったとき、6年目ぐらいには『そろそろ転勤かな』とは思いました。ただ、欧州市場を伸ばせるところまで伸ばしたいとも思っていた。欧州駐在が11年になったのも、その結果ですね」