※本稿は、高倉嘉男『インド映画はなぜ踊るのか』(作品社)の一部を再編集したものです。
インド人は「生理」について正しく知らない
インドのお茶の間では同性愛がタブーの話題だ。そもそもインドでは家庭でも学校でも性まわりの話題そのものがタブーである。それは深刻な性教育の遅れを引き起こしている。
「パッドマン 5億人の女性を救った男」では、インド人男性の多くが女性に毎月生理が来ることすら知らず、女性自身も生理について正確な知識を持ち合わせていないことが明らかにされ、日本人観客を驚かせた。
実は生理中の女性を「忌みもの」として隔離部屋や隔離小屋に閉じこめる習慣は日本を含め世界中で過去に存在したが、インドではそれが多かれ少なかれ現代まで残存している。
その理由はまさに性教育の遅れであり、教育の遅れでもあった。男性が生理を知らないことよりもさらに危機的なのは、生理の当事者である女性が科学よりも迷信を信じ、生理を恥ずべきもの、忌むべきものとして男性の目から遠ざけ、その古い因習を母から娘へ綿々と受け継いできてしまったことである。
「精子ドナー=売春」のイメージを変えた
インド社会の足を引っ張る性教育の遅れを認識し、その改善に率先して努めているのは、再び映画界である。同性愛もその一種といえるが、より広範な性まわりの話題を映画の主題にした「性教育映画」とでも呼ぶべき作品の数々がやはり2010年代から盛んに作られるようになった。
その先駆けは、精子ドナーが主人公のコメディー映画「僕はドナー」であった。この映画が公開される以前、インドでは精子を提供して対価を得る精子ドナーは売春に等しい恥ずべき行為であった。
だが、「僕はドナー」が面白おかしく精子ドナーの存在意義と必要性を啓蒙し、しかもヒットしたことで、国民にその理解が広まった。世の中には不妊に悩んでいる夫婦がおり、彼らが子供を授かるために精子ドナーが非常に重要な役割を果たしていることが楽しみながら分かる映画だった。
「僕はドナー」の成功は、従来タブーとされてきた性に関する分野に可能性を秘めた広大な未開拓地があること、そしてひとつひとつのタブーを解消していくことに社会的な意義があることを映画メーカーたちに知らしめた。

